木曜日, 2月 28, 2008

火事と喧嘩は江戸の...

 昔から火事と喧嘩は衣江戸の華と言う言葉がある。でも昨日までその本当の意味に気付いていなかった私は、何と浅はかだったのだろう。前に、書いてきた事なのに、その本当の姿に気付いていない飼った訳だ。

傍証
江戸無血開城:勝海舟と西郷隆盛の話し合いの場で、「もしも進軍してきたら江戸を火の海にするがそれでも良いか」、と言ったとされる。その指示は慶喜に繋がる町火消の新門辰五郎(娘が徳川慶喜の妾)に伝えるだけで実行できることだった。

 良く調べてみるとその時に、勝海舟は「48人の火付けが江戸の町に火を放つ」と脅したのだが、偶然と言うか、48と言う数字は江戸の町火消と同一だったのだ。そこから類推される事のは、町火消と言う組織は同時に火付けでもあり、町人を監視、警備を請け負っていた民間警護組織だったことだ。実際に幕府崩壊後、新門辰五郎は徳川慶喜の警護を続けている。江戸におけるヤクザは民兵の一種だったのである。

 関東大震災を都市整備のチャンスと後藤新平が考えたのと同じように、江戸時代の町火消には幕命による市街地調整のための火付けが任務として存在したと言う事のだ。そして、その実行力を西郷隆盛も十分に知っていたようである。

結論:火消しとは幕府公認の火付け組織だったのだ。

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