日本人が他国の人と大きく違うのものに法的問題に道義的問題を絡めると言うのがある。法的に問題が無い事を道義的に許せないと考えるのは個人の自由になるが、道義的に許せないから法的処罰を重くしろという話になってしまうと法律が存在する理由が崩壊してしまう。
裁判と言うのは法律を犯したかどうかを判断する場であって、人間性を問う場では無い。情状酌量という物がある。犯罪行為を認め裁判の経過において反省が明確に見られるとかやむ負えず犯罪を犯したと判断された場合に減刑するわけだが、その逆はない。道義的に許せないからと言って罪を重くすることなどあり得ないのだ。
結論:裁判と言うのは人間を裁くのではなく犯罪を裁くのものである。こんな肝心なこと日本人は知らないのだ。それなのに裁判員制度など...裁判に人情は禁物なのだ。大岡裁きばかりやっていると世界から相手にされなくなってしまうのである
木曜日, 2月 28, 2008
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