金曜日, 2月 01, 2008

私は封建主義者?

 薄らサヨク(本当の左翼を理解していない薄らバかと言う意味)は、封建主義と言うと反動保守呼ばわりし、その口が渇く間も無く地方分権だと平気で宣ったりするのだ。サヨクの方々は封建制と言うのは刀を刺して丁髷を結う事だと思っているのだろう。或いは年がら年中、侍が道端で辻斬りをし、年貢を納めない家の村娘を手込めにするのが封建制だとでも思っているのだろうか。

 日本の封建主義と言うのはヨーロッパのそれとは全く違い典型的な地方分権制度である。藩(江戸時代には藩とは言っていなかったが)と呼ばれる行政範囲内の統治を各大名に委託するのが幕藩体制であり、領内に生活する人達は藩主の奴隷ではなかった。基本的に各藩が独立採算で藩の財政を管理し、藩で賄い切れないような問題が発生した時に幕府が対処すると言うのが日本の封建制度(幕藩体制)だった。決してサヨクが思っているような蒙昧な制度ではなかった。

 サヨクはすぐに、家父長制度はけしからん、封建社会は女性蔑視の社会だと言うが、これも明治以降に日本にはいってきた西洋思想を無謬のものだと信じ込むおめでたい頭に浮かぶ幻想に過ぎない。サヨクに説明する気などさらさらないが心ある方々にご理解頂く為に日本の封建制を少しだけ解説してみたい。

日本の封建制度
その1:地方分権。それぞれの藩に対して他藩は基本的に干渉しない(戦争はさせないと言う事)。
その2:地方自治。藩の収入は自己裁量に任せる。そのため各藩は特産品を奨励し付加価値の高いものを全国に売って収入を得る手段としていた為、現在のように酷い地方格差はなかった。
その3:大名は支配者ではなく統治者。問題を起こせば転封、お家断絶を制度化。これによって、領民からの搾取などが行われない社会を形成した。
その4:士農工商という身分制度があったと言われている(実際には士である官僚とその他があるだけで農工商に身分差はなかった)が、実際には優秀な人間がいれば養子と言う形で武士(官僚)にするという緩やかな物だった。
その5:相互扶助。村と言う単位の話になると、すぐ村八分など悪いものばかりを引っ張り出すが村と言うのは相互扶助をベースとして成り立ち、村が良くなるようにお互いに助け合っていた。

 では何故、徳川幕府はこのような制度にしたのかと言えば単純に二度と戦争を起こさせない為である。幕府の直轄地の回りは譜代(昔からの直系の家来)の小藩で囲み(寝首を掻けるほどの武力はないので気が触れても安心)、外様は江戸に上るのが不可能な遠くに置いて参勤交代で戦費を消耗(その代わりそれが賄えるくらいに大きな藩を許した)させるというものだった。この辺りになると徳川家康の深謀遠慮は、流石と言わざる負えない(私は嫌いだが)。

結論:江戸幕府の敷いた幕藩体制は今の中央官僚が考えているような似非地方分権制度ではない。道州制度も地方官僚(現在の地方自治体)から、更に権限を奪い中央官僚が天下る為に考え出されたシステム。官僚やサヨクのような全体主義者(所謂”赤”)はきれい事を並べていつも悪事を働くのである。地方分権したかったら封建制度をしっかり勉強するべきなのである。

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