昨日のblogのイージス艦の事故に対してどちらかと言えば好意的と取れる記述が多かった。バランスをとると言う訳ではないが今日は別の視点から問題について考えてみたい。
昨日の書き込みは一旦避け切れない状態になった後の話であって、そもそも漁船が溢れている海域で注意を怠った自衛隊の姿勢を擁護するものではない。米軍も年中同じようなことをやっているのかも知れないが、自衛隊が危機管理に対して万全の体制を敷いていないことが今回のような事故を起こす原因なのである。
要は、自衛隊は軍隊ごっこの集団(酷い言い方だが)だからこういうミスを起こすのだと言いたいのだが、そうなったのは正式な軍隊と認めない国にあるのだ。憲法九条と安保という二重の籠に守られて独り立ちする必要を感じなかった為に、サバイバルゲームと同じレベル(銃撃で死ぬ事など想像した事もないだろう)で済んでしまう組織にいたのだから...これ以上はやめよう。
そして、日本にはその自衛隊よりも単なる”ごっこ遊び”に興じている薄らバカな組織が存在する。武器を使う喧嘩(戦争)は、無いに越したことはない。そう言う意味では事故さえ起こさなければ自衛隊はごっこ遊びをしてくれている方が平和で良い訳だが、もう一つの組織は武器を使わない喧嘩(これを世界的には外交と言う)を単なるお遊びにしてしまっている。以前から何度も書いているので耳にタコかも知れないが、日本の害務省は一切の外交を行っていない(まね事はしているがあくまでもお遊びだ)。
外交は武器を使わない喧嘩だと定義すれば、喧嘩にならないように相手の言い分だけ聞くのは外交ではない。外交とは丁々発止の世界。同盟国であってもいつ何時裏切られるか(日英同盟や日ソ不可侵条約はどうなった)分からない事を承知の上で怠りなく対処するのが外交なのである。戦前と違い”お遊び”だけで成り立ってしまう組織しか知らないから、皇族というものがどういうものかを考えずに結婚するようなバカ(皇太子妃殿下)が出てくるのだ。
結論:お遊びは国がやる事ではない。もしも日本中の官僚組織がごっこ遊びしかしていないのだったら、財務省も税金も日銀券の変わりに子供銀行券で集めるべきだ。お遊びだと気付かないから、国民はすぐに国に依存するが、国がやっている事がお遊びだと分かっていれば国民はもっと真剣に物事を考えるようになるのである。
木曜日, 2月 21, 2008
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