火曜日, 9月 22, 2009

鎖国のすすめ

 鎖国は無かったと大分以前に書いた事があるが、大正以降に鎖国が諸悪の根源でそのために日本は立ち後れたと言い張りたいが為に作られた言葉。植民地政策を取っていた欧米の帝国主義国家から見れば鎖国(日本が門戸を開いてくれない)だったかも知れないが、日本から見ればオランダを窓口に貿易は盛んに行ない、オランダの色はついていたかも知れないが情報も閉じていた訳では無かく、管理貿易を実施していただけだったのだ。オランダを取引相手に選んだ理由は領土的な野心を持っていなかったことが一番大きな理由だが、他のヨーロッパ諸国はヨーロッパ内の戦乱でそれどころでは無かった事が影響したのである。
 
 管理貿易、保護貿易を敷いた日本は基本物資を国内で調達する態勢を築き、ほぼ全てのものを国内で賄える産業構造を構築したのである。それが可能になったのも270年もの間戦争を行わない時代を続けられた幕藩体制が優れていたからなのである。資源の限られる日本が自給自足を可能にしたのは、資源の浪費をせずリサイクル、リユースによる資源再生を行ったからなのだが、その技術力が明治以降の欧米化の時代に発揮されたのである。国内で産出されない火薬の原料である硝石を尿から作り出したりする(日本人が発見した訳では無いだろうが、植民地から搾取可能な欧米列強はそんな事に時間を費やしたりはしなかったのだ)など化学的な技術も江戸時代に蓄積されたのである。

結論:手に入らなければ手に入る国を手に入れるのが西洋人の考えなら、手に入らないものを作り出すのが日本人の知恵。経済的な繁栄が決して国を豊かにする事では無いのは自明なのだから、江戸の知恵を再考して独立独歩に絶え得る国造りを国家戦略の芯にすえた上で開放政策を取る必要があるのではないだろうか。直ぐに鎖国をしろなどとは言わないが、いつ鎖国をしても生延びられる備えをすることが必要なのである。

2 件のコメント:

匿名 さんのコメント...

インドネシアはオランダの植民地だったわけでしょ?なんで日本に対して領土的野心はなかったんでしょう?

G4 Cube Everlasting さんのコメント...

 コメントを頂きありがとうございます。オランダが日本にアプローチをしてきたのは戦国時代末期以降。既に天下統一されていた訳ですが、当時の軍事力を考えれば植民地化する事は不可能と判断したからだろうと思います。当時の世界情勢を知っていたオランダは独占的貿易で得られる利益だけで十分だと考えたのだろうと思います。要は算盤に合わなかった訳です。