今では江戸時代は士農工商と言う身分制度がある封建社会で、まるでヨーロッパの中世のような暗黒時代のように信じらているが、国内にも争いごとがない真に平和な時代だったのだ。固定的な身分制度のように言われる士農工商も決して絶対化された閉鎖的な制度ではなかったし、何より貧富の差は当時の諸外国と比べても比較にならないほど小さく幕末の開国時の欧米諸国とは違いスラムやゲットーのような貧民窟は存在しなかった。幕末の江戸の町の写真が残されているが、ヨーロッパの町並みのように整然と美しい佇まいだったのである。維新後にヨーロッパを歴訪した岩倉使節団も、経済的に繁栄する諸国で見られる格差を知り、貧しくとも貧富の差の少ない日本の現状を如何に守るかを考えたのである。
結論:幕府を倒した明治政府は幕府を批判する立場にあったが、士農工商が貧富の差を伴う身分制度だったとなったのは江戸時代生まれの生き証人が少なくなった大正以後だったのである。そもそも、士農工商はカースト制度のような身分制度だとするのは間違いなのである。
月曜日, 9月 14, 2009
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2 件のコメント:
この前大前研一さんの講演を聴いたのですが、氏は井伊直弼を絶賛し(咸臨丸にのる人物をあらかじめ発掘していた)、
「江戸幕府に人材育成する力があったから明治維新ができた」と分析していました。(それと現在の政権交代をひっかけていつもの持論を展開していたのですが・・・)
小栗忠順またしかり。と
歴史の事実はG4さんの造詣が深いことは承知していますが、まぁ一般的な共通認識としての井伊直弼時代におこったことから考えても、江戸幕府はなかなか。
歴史では開明なのは新政府側で幕府は蒙昧みたいな書き方をされますが、幕府の役人は決して暗愚ではありませんでした。海外の情報だって幕府の方が多くを掴み、だからこそ開国の問題点も把握していたのです。西洋の経済システムが国を豊にしないと分かっていたからこそ躊躇したのです。咸臨丸を送ったのも幕府だし、海軍を創設したのも幕府でした。幕府がもう100年続いていれば日本は違う形(諸外国と同等に外交を結ぶ)の文明国になっていたかも知れません。
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