水曜日, 9月 09, 2009

現代用語のKUSO知識 〜番外編〜

 久しぶりに再開した現代用語のKUSO知識。今回は番外編と言う事で軍事と外交について書いてみようと思う。

シビリアン・コントロール:軍隊が勝手な事をしないように政治家が軍隊をコントロールする事だが、政治家が軍に命令する事でも、防衛省のように背広組(文官)が制服組を見下す事でもない。本当のシビリアン・コントロールとは軍事予算を出さない事なのである。戦前の大日本帝国軍はシビリアン・コントロールに従わなかったから戦争になったなどとまことしやかに述べる軍事音痴がいるが、日本が戦争に突き進んだのはシビリアン・コントロールが効かなかったのではなくシビリアンが暴走した事が原因だったのだ。【同義語】ポピュリズム。軍隊が暴走するのも、政治家が勝手な事をするのも国民の民度が低いからなのである。
外交:日本人は昔から外交オンチだとどこの誰が言い出したかわからない嘘がまかり通っている。中にはその原因を鎖国政策(そもそも江戸時代に鎖国などしていなかった)の所為だなどと言う大馬鹿さえいる始末だ。確かに戦後はまともな外交をしてきたとは言えないが、それは軍事力を持たなかったからであって、開国(帝国主義国家との国交をそう言わなければいけないらしい)以降の日本は江戸時代から集めていた情報を元に立派に外交を行ってきたのである。武力で圧倒的な差のある日本が欧米列強の植民地にされなかったのが何よりの証拠なのである。勿論、現在の日本には全く外交力はないが、それは独立国ではないから当然なのだ。外交とは、どんな手段でも使って交渉し最後には国益になる取引を成立させる事なのである。【同義語】上前を刎ねる。一番理想の外交とは全く手を汚す事なく利益を得、誰からも文句を言わせない事である。戦争よりも外交の方が汚い場合も多い事を覚えておけば外交オンチと言われる事はないのだ。
平和条約:バカサヨクやポチ達は条約と言うものを不磨の大典と思い違いしているようだが、条約などと言うのはあくまで一時的な約束事であって何の法的拘束力も持たないもの(破棄もせずに条約違反は法定に問題となるが破棄すれば全く問題はないし、一方的に破棄可能)である。中でも、平和条約などと言うものは情勢の変化が起こらない限りは戦争をしませんよという約束であって、情勢が変われば一方的に破棄をして宣戦布告が可能な代物である。独ソ不可侵、日ソ中立などの条約が典型だが、日英同盟のように戦争を始めようと思ったら破り捨てる事が出来る証文に過ぎないのだ。平和条約は戦争中には結ばない事だけは確かである。【同義語】宣戦布告。戦争が起こらない時が平和なのだから、戦争を起こさない限り平和は存在しないのである。

結論:狸と狐の化かし合いが外交なら、軍隊に余分な金と装備を持たせないのがシビリアン・コントロール。背広組が役立たずの兵器に無駄金を使ってばかりいるので自衛隊は戦争をする事が出来ないから、一種のシビリアン・コントロールにはなっているが、戦争に巻き込まれた時を想定していないのでは、外交など成り立つはずはないのである。

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