火曜日, 5月 27, 2008

放置国家

 被災地の略奪が日常化している。時間が経てば経つほどその深刻度はますのだろうが、四川省の地震はいつ終ることのない災厄になってしまうのだろうか。

 日本でも神戸の震災では色々と新聞は書かない不都合な現実があったようだが、少なくとも新潟の中越地震では、そのような恥知らずな騒動は起きなかった。地域性の問題かも知れないが、だとすれば西日本は東日本に比べより中国に近いのかも知れない(東日本の偏見?)。

 災害に際して略奪行為が起こるのは別に中国ばかりではないのは間違いない。アメリカだってこんな事になれば全く同じように略奪を働く連中はウジャウジャいるだろう。その証拠に停電なっただけで、略奪や銃撃戦など何度アメリカで起きた事かを思い出せばいい。但し、そんなアメリカでも曲がりなりにも文明国の端くれ略奪犯を捕まえはしても裁判も為しに、犯人を市中引き回しなどしたりはしない。

 そんなことは無い、日本だって江戸時代には行っていたと朝日新聞辺りは書きそうだが、江戸時代の刑罰で市中引き回しはあったが、裁判で刑が確定したから行われた訳であって、裁判が行われたかどうかも分からない(刑が確定していない)人間を見せしめの為に引き回すなど野蛮人じゃなければ考えつかない事なのだ。

結論:今回の件で思い出したのは「文化大革命」だが、4,000年も歴史があると言いながら、やっている事は4,000年前と少しも変わっていない中国。歴史はあるかも知れないが文明は未だに無いようである。文明とは法治が存在するかどうかに掛かっているのだ。

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