金曜日, 5月 09, 2008

戦争の現実

 久し振りに山本七平を読んでいる。前にも書いたように、右からは左(反戦)と批判され、左からは右(百人斬りを否定したから)と指弾される山本七平。しかし、実際には物事を理性で分析しようとしているだけ、それがわからぬほど右も左も理を持たぬ連中(勿論ここで言っている右左はどちらも似非だ。真の右翼や左翼ならば山本の指摘に頷く筈である)ばかりだと言う事である。山本氏が幾度となく書いている事は反戦ではなく、太平洋戦争は間違っていたという事である。その根底に流れているのは勝つ見込みのない戦争を冷徹に否定しているだけで、二度と同じ過ちを犯さない為に日本人の何がいけないのかを示しているだけである。

 だからこそ、荒唐無稽な百人斬り論争も論理を元に否定しただけで別に軍国主義者だからそうしたけではないのだ。似非左翼はそれを理解する知性も気持ちも持ち合わせていないのだが、それは無益な戦争へと突き進んでいった日本人(マスコミ)と全く同じ反応だと指摘しているだけなのだ。山下氏は、戦争に勝つには精神論(結局単なるお題目に過ぎない)ではなく嫌らしいくらいの合理性(卑怯とも言うが利口とも言う)が無ければいけないという立場であり、それもなくなし崩しに始ってしまった太平洋戦争を否定しているだけだったのだ。そんな山本氏が指摘した皇軍の実体の幾つかを書いて見たい。

日本軍の実体
軍事力:アメリカ対日本の軍事力の開戦時の比較は7対1。末期には1,000対1にも満たなかったかも知れない(これは山本氏も書いてはいないが)。軍事力とは兵士の数掛ける武器の質と量なのだが、日本に補充可能だったのは兵隊の頭数だけ、それも末期には戦場(フィリピンなど)に着く前に輸送船で溺死だったのだが、運良く戦地についても銃さえ無い状態、軽機関銃や火炎放射器を好き放題に使える相手に対して兵員千人に百丁にも満たない旧式の単発銃しかない(丸腰の方が多かったのだ)軍隊がまともに戦闘など不可能だったのだ。
戦死者:戦死者というと戦闘による死亡を思い浮かべるが、輸送船の撃沈による溺死、栄養失調による餓死、病死が大半だったのだ。制海権、制空権を完全に失った19年以降商船による輸送船団は、ほぼ全滅に近い状態だった。特にまともに戦闘を行えなかった末期には戦いに行ったのではなく死にに行っただけだったのだ。これが、お題目以外に何の戦略も持たなかった戦争の実体なのなのである。
特攻隊:特攻と言うと零戦だと思い込んでいるようだが、特攻が認められた末期には練習機まで特攻に借り出された(速度も遅く特攻以前に全て撃墜)。何故特攻を掛けたかと言えば、既に燃料は枯渇し片道分しか確保出来ない状態であったことと優秀なパイロットは戦死し、空中戦を行えるパイロットを養成する時間も機材もない上、空中戦を行える程の弾薬もなかったからである。

 現代人から見ればそんな状態で戦争をする事など有り得ないという話になるが、日本人の本性が変わらなければ何度でも同じ過ちを犯すと言うのが山本氏の指摘している事である。そして、悲しいかな日本人の本性は全く変わっていない。それは百人斬りを真実だとしたり、実際には1万に満たない沖縄基地移転反対の集会の人数を主催者発表のまま(自分たちでは数を数えようともしないで主催者といえば大本営と同じようなものだ)に10万人と書く新聞があることを見れば明らかだ。

結論:悲しい事だが、理性的に物事を判断出来ない日本には、永久に憲法九条は必要かも知れない。

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