木曜日, 5月 15, 2008

論理の通じない国

 論理では無く気分で物事を決めてしまう国、日本。平時にはそれでも大過なく過ごせるのだが、有事になると先の大戦のようなバカな事を最後までやり通してしまう。それを批判する護憲派(自称リベラル)というは、戦時中なら真っ先に戦争賛成を叫んだ口に過ぎない。本当のインテリ(知識人)ならば、鼻で笑うような目茶苦茶な理屈を真っ先に受け入れたのは今も昔も似非インテリたち。

 国民はそいつらが似非だとは知らないからすっかり騙されてしまった訳だが、金太郎飴を作り出す為に教育とは、お上のおっしゃる事を疑わない事だとした事が根本的な問題だったのだろう。どんなに名のある人が言っても間違いは間違いと指摘出来る社会にならないと何時までたっても論理など通じないのだ。

論理が通じない証拠
その1:原爆を落とし、成層圏近くから雲霞のごとく爆弾を落とせる国に対して手製の竹槍で立ち向かおうと言うその精神構造。鎌倉時代だってそんなバカな事は考えなかったと思う。それ位なら神仏を拝んだ方がましかも知れない。そして、それを科学的では無いと言えば非国民扱い。話にならないのだ。
その2:武器も十分な糧秣も持たせずに、武器も糧秣も無い戦場に制海権もない海をボロ舟に乗せて渡らせることを聖戦と呼ぶ精神構造。大砲を持たない砲兵、飛行機の無い航空隊など数に数えること自体有り得ない話であるが、それが太平洋戦争中の日本軍である。何も食うものが無くても日本人は生きていけると考えていないとこんなバカな事はしないはずだが、取りあえず自分たちのメンツを保つ為なら兵隊が死ぬのは一向に構わないと考えていたに違いない。武器を渡されなくても向こうに行けばあるのでないかと言う思い込み、北朝鮮は天国と思い込んでの帰国事業、どれもこれも勝手に良い方に思い込んだに過ぎないのである。
その3:開戦初期、帝国陸軍は銃剣突撃の練度を上げる為に訓練を行った。末期には、その銃が頭数揃わなかったのだから笑ってしまうが、銃剣突撃の訓練をした理由が十分な銃弾を配給出来なかったからだと知ったら如何だろう。銃剣や竹槍位しか有効な武器がないならばゲリラ戦しか行えない。そんなものを持たされて突撃させるなど愚の骨頂だ。
その4:朝日新聞を始めとする基地外がすぐに槍玉に挙げるのが自衛隊。軍隊としての体をなしていないのでこれでは防衛を任せられないと批判するのならば分かるのだが、朝日新聞の論調を見ると戦前の軍隊と同じようにすぐにでも戦争を出来る戦力を持っているように思えてしまう。自衛隊の戦力増強を恐れると言うのは実はそれ位に自衛隊を高く評価している証拠。朝日よりも自衛隊を買いかぶっている奴なんて世の中にいないのだ。自衛隊には対地攻撃能力が無く(爆撃機も地上攻撃機も空母も無いし、対地攻撃ミサイルさえない。恐らく何故ミサイルや砲弾に色んな種類があるかを知らないのだ)、防衛力に関しても燃料以外の備蓄が乏しい為、すぐに竹槍で戦う事になると知らないらしい。日本刀で100人斬れるとか、自衛隊に戦争ができるとか本当にどうかしているのだ。

結論:性善説と言うのは理想であって現実では無い。頭から何でも疑うのは褒められたものでは無いが、頭から信じちゃうのはもっと褒められた物では無いのだ。論理とは物事を疑う事から始るのである。

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