一服盛ったのではないかと勘ぐられるくらいにベストタイミングでパンダが逝った。揚げ句の果てに待ってましたとばかりに”パンダを下さい”と脳腫瘍がホザク。パンダと言う手土産を貰って手ぶらで返せる筈もなく、尖閣諸島を上げる訳には行かないので結局はチベットをお土産に持たせようとでも言うのだろうか。毒入りギョウザの結末を見れば分かるように中国に(世界の)常識は通用しない。こんな時期に訪日を受け入れる事さえ、自由陣営の一員としてはおかしな話なのに晩餐会さえ行おうと言うのだから...
中国にとっては起死回生のチャンスを得られる好機だが、胡錦濤を今受け入れても何のメリットもない。それどころかデメリットばかりだ。ギョウザも、チベットも、尖閣諸島も胡錦濤が来たからと言って何の進展も見込めないのだから、来て貰う意味など日本には全く無いのだ。中国はパンダは外交手段の一つだろうが、毒が入っているのも考えずにパンダをオネダリするのは外交ではないのだ。
結論:それにしても、どうしてこんな時期に”パンダ”は死んだのだろう。”フクダ”が死ねば良かったのに。
火曜日, 5月 06, 2008
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