朝鮮や支那の連中は靖國と言うと目くじらを立てるが(それしか知らないんだろう。勉強してから文句を言え)、靖國は死んで帰ってきた時にたどり着く場所なのだから戦争にとって縁起のいい場所ではない。そんなところで戦勝をお祈りしたのではきっと負けてしまうに決っている。そう考えると、戦犯である(東京裁判では)と言われる東條などの御霊は二度と戦争を起こせないように靖國に封印していると言えないだろうか。
実際に国家として靖國で戦勝祈願を行った事はない(祀られている英霊には申し訳ないのだが戦死者は縁起が悪いのである。縁起が悪からこそ神として祀ったのだ)。昔から戦勝祈願は八幡と決っている。それ以外ならば、乃木や東郷を軍神として祀っている立派な神社があるので、そちらを参拝するようならば問題にするべきだ。
こう言った肝心な事実を政府として世界に広めれば、靖國参拝が軍国主義を肯定する好戦的な姿勢の現われでない事が理解されるだろう。支那が問題にする遊就館も戦争を美化しているというよりは日本は悪くなかったんだよというどちらかと言えば後ろ向きの意見(戦死者を祀っているので手放しに戦争を賛美するような状況ではない)と捉えるべき代物である。
結論:靖國は戦没者を慰霊する神社(魂を鎮めるために神として祀った)であって、イケイケドンドンの神社ではない。もしも軍神だけを集めた神社を作ったらその時に問題にすべきなのだ。その辺りを政府自体が理解していないから正しい反論が出来ないのだ。政府にはもう少しまともに歴史を勉強してもらいたいものだ。
金曜日, 5月 26, 2006
登録:
コメントの投稿 (Atom)
0 件のコメント:
コメントを投稿