木曜日, 5月 25, 2006

韓国人の靖国合祀

 韓国人には理解出来ない事かもしれないが、神道における神格化はどの神様も本人の意思でそうなったものではない。日本では仏教でも同様なのだが、祟られたら困るのでお祀りしていると言うのが根本にある。ある意味勝手にお祀りしているのであって、それが嫌ならば自分達の宗教で供養してあげれば良いのことがらなのである。

 神道とは良いことをしてくれた人に対する感謝の気持ちや恐れを抱いている相手の怒りを鎮めること(鎮魂)が目的なので(だから神も鬼もなく力の強かった故人を祀るのである)あって魂の拉致監禁を行っている訳ではない。

 つまり韓国の人がどうしても自分たちで亡くなった方々の供養を行いたいと言うのであれば、キリスト教であれ儒教や仏教であれ、好きな宗教で行えば済む事なのだ。例え靖国が汚れた存在であったとしても祀られている人が汚れるような事は無いのである。

 韓国では恐らく靖国をお寺のようなものだと勘違いしていて遺骨を収めてある(実際にそう誤解しているようだ)とでも思っているのだろうが、神道の神には実体は必要ない。だからどこの神社でも複数の神様を分けてもらってお祀りする事が可能なのだ。

 先の大戦で不幸にも亡くなられた方の冥福を祈るのであれば、立派なお墓でも建ててあげればそれでいいのだ。神として祀りたいと言うのであれば遺族の方々でお祀りすれば良い事なのだ。

結論:日本の神道が独特なので理解してもらうのは難しいのかもしれないが、誤解を解く努力も少な過ぎたのかもしれない。判決だけでなくそう言ったことも伝えなければいつまでたっても同じような裁判が繰り返されるだろう。

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