イエス・キリストが死んでいなかった(そもそもいなかったと言う説もあるぞ)という問題提起で世界中に話題を提供している”ダ・ヴィンチコード”。ユダ(これはユダヤ人のメタファー)は裏切り者ではないというのも本来ユダヤ人(東洋系)でないヨーロッパ人(毛唐)を正統とするために裏工作をしてヨーロッパ人に都合の良いお話をでっち上げた連中にとっては受け入れ難い話なのである。
ここで大事なおさらいをしてみよう。
イエスはシリア系のユダヤ人だった(ヨーロッパとは縁もゆかりもない)。
イエスの教えはユダヤ教の分派(仏教やヒンズーの影響を受けたユダヤ教)。
イエスはローマ人は死刑になった(パリサイ人にはめられた)。
イエスは復活したので神の子(三位一体)だった(復活してもらわなければ困る)。
福音書が出来たのは、正典も外典も含めて随分後だった(生き証人はもういなかった)。
ヨハネの福音書以外はイエスを神だとは言っていない(他は奇跡の伝説を書いただけ)。
というわけでキリスト教の胆である新約聖書が正しいと言う証拠は実はどこにも無い(事実であって欲しいと言う気持ちは信者の心の中にだけはある)のだ。そこには大きな付け入る隙があるため、実はイエスは生きていて子孫がまだ生きているという新たな伝説を作り出すことも可能だった訳である。そして、その伝説を利用して新たな権力を生み出していった連中がいる訳である。イルミナティ、メーソンリーなどはその典型であるがこういった連中がカトリックとプロテスタントの内紛などを利用してキリスト教の中に浸透していた訳である。
結論:キリスト教徒にとってのイエスは絶対の存在(神)であるが、イスラム教のマホメットのようのような存在ではない(イスラムもイエスを預言者の一人と認めている)。何故ならマホメットのように自分で聖典(神の言葉)を残してはいないのだ。だからただの辻説法のおじさんだった可能性も高いわけだ。それがここまで信じられるようなった理由はトルコ生まれのユダヤ人(ファリサイ派)であるパウロがローマ帝国内で異邦人(非ユダヤ人)に伝導したからなのだろう。というわけでキリスト教とダ・ヴィンチコードのどっちの主張も五十歩百歩なのだ。
金曜日, 5月 19, 2006
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