水曜日, 5月 10, 2006

歴史の謎(1)

 歴史の中には思わず何故と疑問に思う事があったりするわけだが、よくよく調べて見れば納得出来る説があったりする。今回はそんなネタを少しばかり取り上げてみたい。

天智天皇:中学の教科書では大化の改新(645)のあとに天智天皇の話になるので、すぐに天皇になったように思われがちだが、実際は668年まで天皇にはなっていないし、僅か3年で死んでいる。何故なかなか天皇にならなかったかと言うのが疑問なのだが、そんな中に天智は百済の王だったと言う説がある(660年に百済は一度滅亡しているので当時亡命政府状態だった)。その説では、百済再興のために起こした白村江の戦いに敗れ百済が完全に滅び、百済王を諦めざるおえなくなって日本の天皇になったというのである。但し、百済の後ろ盾を失った天智は新羅の武烈王の弟である天武(これも一つの説である)にすぐに殺されてしまったという落ちがつく。それを裏で操っていたのが藤原氏だと言うのだ。ところがそうは問屋が卸さない。盤石だと思えた天武の流れは、聖武、文武(間に持統や元正、元明などもいるが割愛)と来たところで血が絶えてしまうことになったのだ。つまり百済をバックに持つ勢力は多かったが新羅をバックに持つ勢力は少なかったと言う事なのである。ここで考えなければいけないのは、桓武以前の天皇家は一つの一族ではなかったどころか、一つの政権でもなかったという説もあると言う事だ。これは定説ではないが(現在は)強ち、あり得ない話ではないと思う今日この頃である。

結論:古事記や日本書紀と言う歴史書がある事と、中に書かれている事が真実であるわけではない。それどころか腑に落ちない部分が結構多いらしい(私は原文を読んだ事は無いので読んだ人の意見だ)。つまり辻褄が合わない話が出てきた時にはそこに嘘が隠されていると疑ってみることも時には必要だと言う事だ。教科書に書いてある事が真実だと言う保証はどこにも無い。ただ、それだけの話である。

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