火曜日, 11月 11, 2008

シビリアンコントロールに思う事

 多母神問題からまカスゴミは騒いでいるが、ここで直ぐに出てくるのがシビリアンコントロールと言う言葉だ。

 世の中には定義の曖昧な言葉が多いが、シビリアンコントロールもまさにそうである。お役人から見れば、防衛省の背広組が制服組(自衛隊)を下に見るのがシビリアンコントロールらしいし、政治家から見れば幕僚長クビにをするのがシビリアンコントロールらしい。カスゴミからすれば、自衛隊を誹謗中傷にするのがシビリアンコントロールで、プロ市民からすれば憲法九条を守る事がシビリアンコントロールである。

 シビリアンコントロールは、正しくは文民統制であるがその文民がくせ者なのである。文民に入らないのは軍人(現役の制服組)だけなのだろうが、軍隊を認めていない憲法からすれば自衛隊は軍隊ではないので、厳密に解釈すれば軍人でない自衛隊員はシビリアンコントロールの対象ではない。それなのにサヨクの人達は、自衛隊は憲法九条違反の軍隊だからシビリアンコントロールが必要だなどというが、これはおかしな話だ。憲法違反ならばシビリアンコントロールするのではなく解体するしか方法はない。当然、防衛省など存在してはいけないのだ(憲法九条は自分たちで国を守らないと書いているのだから)。

 話が横道にそれてしまったので元へ戻すが、戦前の日本が、戦争に突入した(誰かさんが最近賞を貰った論文では嵌められたのだが)のはシビリアンコントロールが利かない軍国主義だったからと言うのが貞節になっているが、これは嘘八百である。戦争に負けて軍隊が無条件降伏(サヨクが言い張るように日本が無条件降伏した訳ではない)した時にも政府機能は生きていた。

 戦前の日本にはシビリアンコントロールがなかったのではなく、コントローラーが間違っていたために愚かな戦争を引き起こしたと考えるのが正しい。日本がいずれ負ける事を誰よりも知っていたのは他でもない軍人の方だ。本当は早い時期に手打ちにしようと考えていたのは間違いない。しかし、カスゴミのデマゴーグに躍らされて勝つと信じてしまった国民の手前、誰も戦争を止めようと言い出せなくなってしまったのだ。議会もあったし、選挙もあった(最後はなくなったが)。予算を止めれば戦争を止める事はできたのに、それが出来なかったのは、勝つと信じてしまった国民から戦争を止めさせようと言うシビリアンコントロールを引き出せなかったからでなのである。そして、そうなってしまったのはカスゴミも愚かで、国民もその嘘に気付かないほどナイーブ(良く言ってお人よし)だったからなのだ。御上の言うこと、カスゴミの言うことを全て真に受けるようじゃ、シビリアンコントロールがあろうが無かろうが、何度だって同じ過ちを繰り返すのだ。

結論:誰が言ったかどうかで物事を鵜呑みにするのではなく自分で考えなければいけない。犯人かどうかも判らない人間を平気で犯人扱いするカスゴミ。それを真に受けて魔女狩りに力を貸す一般大衆。これがシビリアンだとしたら、そのコントロールなど高が知れていると言うものである。まず、物事を疑ってみる癖をつけるべきだろう。信じるのはそれからでも決して遅くはないのである。

2 件のコメント:

Unknown さんのコメント...

初めての投稿です。シビリアンコントロールの意味が分かってないマスコミ、政治家、官僚と違いしっかりシビリアンコントロールについて書いてあるので非常に好感が持てました。東京新聞なんて文民統制の崩壊などといってここしばらく1面の左に書いていましたし・・・。前置きが長くなりましたすいません、私の考えるシビリアンコントロールについて少し述べさせてください。至って単純なんですが、武力行使するかどうかの判断を政治家が決めることです。この一点だけがシビリアンコントロールの絶対的な物だと思っています。
そもそも田母神氏の論文の出したことは内規に反しているため処分はいたし方がありませんが、処分に対して武力行使は行っていません。素直に更迭されています。自称中立(実際はサヨ)の人のブログではクーデターが起こるなどと騒がれていますが、自衛官は国を守るためにいるのであって乱すことはほぼしません。今回の論文も問題がありますが、国を守る意識を国民に持ってもらおうという思いから書いたのだと思います。
結言の自分で判断するは正直今のマスコミの神輿に乗っているすべての人に聞いてほしい言葉でした。長々とすいません。これからまたちょくちょく来ると思いますので宜しくお願いします。

G4 Cube Everlasting さんのコメント...

 貴重なコメントをありがとうございます。ご指摘いただいた通り、今回の件に関してマスコミはいつものようにミス・リードを意図的に行いました。シビリアン・コントロールは政治家にだけ許されることであり、内局の判断をシビリアン・コントロールだなどと言われたのでは話になりません。根本的な問題は、日本に政治家がいないことでしょう。政治屋は腐るほど(本当に面白いくらい腐ってます)いるのに、国益を考えて国をリードする政策を立てる政治家はいません。それが自分達の義務だと言う意識も無いから、役人が作った姑息な省益重視の政策に平気で判を付けるのです。日本にはシビリアン・コントロールがないのではなく、そもそもシビリアンがいないというのが現状なのですが、それを解決するには日本人の意識が変わる必要がありますが、マスコミが変わるとは思えません。自分で問題を考えてみるしか方法はないのです。