火曜日, 11月 04, 2008

田母神論文を考える

 田母神元幕僚長の論文が騒動になったが、書かれていた事は別に驚くに値する事では無かった。張作霖の爆殺が日本軍の犯行じゃなかったと言うのは怪しいが、盧溝橋が共産ゲリラの犯行だと言う話は以前からある。国共合作が張学良に捕らわれた蒋介石の解放とのバーター取引であり、それを行ったのが共産党の周恩来だったのは歴史的事実と言える。日本が中国やアメリカを相手に戦争を行ったのは侵略が目的でなかったこと(目的意識を持って戦争をしたのではなくズルズルと深みに嵌まったと表現するのが正しい)は明白なのだが、そんなことは田母神氏が指摘するまでもない話だ。

 日本を太平洋戦争に巻き込んだアメリカ政府に多くのコミンテルンがいたと言う指摘も、ニュー・ディーラーと言われた連中がそもそも社会主義者だったのだから当たり前の事である。事実誤認(年次や日付など)が多いと言う指摘もあるが、そもそもアパなどといういい加減な会社の懸賞論文だからどうでも良い事だが、そんな稚拙なことで突っ込まれるのは思慮が足りなかった(きっと大した事がないのだ)と言えるだろう。別に目くじらを立てるような異論も、極論も書かれていないようだが、一番の問題点は戦前の日本を(被害者として)持ち上げ過ぎている事である。戦前の日本のあり方(実は戦後も一貫して戦前と全く同じなのだが)を批判していればもっとましな論文になっていただろう。

 何故、日本がズルズルと戦争に流れて行ったかと言えば、それは軍隊が官僚組織として硬直していたからである。陸軍と海軍がお互いに省益を優先し(当時の他の官僚組織も同様だ)、自省に不利益になることを隠してきた事が戦争を拡大させる原因だったのだ。石原莞爾の満州事変は、中国やソ連を相手に戦う為ではなく戦争を避けるために計画されたのだが、予算を削られる事を恐れた軍部は、中国やソ連の挑発を理由に戦火を拡大する方針を立てる(新たな予算獲得だ)。海軍は海軍で予算を拡大するためには大きな戦果が欲しかった。満州事変以上に国民受けする大手柄を狙っていた。それが真珠湾攻撃となったのだ。陸軍も海軍も列強を相手に勝てるなどとは思っていなかったが、存在感を示すための何かをしたかったのだ。そこに、欧米列強が付入って日本を泥沼に引きずり込んだと考えるべきだろう。

結論:
第一次大戦後に国内に蔓延していた軍隊不要論(平和主義)による予算削減(職業軍人の多くは予備役となり、学校の軍事教練で食いつなぐ羽目に陥った)を打破するために起死回生を狙って軍事行動を起こしたが、余りにも近視眼だったために戦略なき戦争に引きずり込まれてしまった。派手な戦果を喧伝したために引くに引けなくなったのは軍隊にも責任があったが、それを煽った新聞とそれを鵜呑みにして軍隊を追いつめた国民にも大きな責任があったのだ。そこまで書かずに被害者意識丸出しの論文を書くのは軍人として片手落ちである。

3 件のコメント:

匿名 さんのコメント...

結論は正しいと思います。


私としては、今回の事件で一番気になるのが多母神氏自身の考えが問題の中心となり、氏が政府見解と異なる趣旨の論文を発表しシビリアンコントロールから逸脱した事が大して問題とされないことです。
 問題の本質はそこであるのに、どうもマスコミはスキャンダルになりそうな方向へニュースの内容をシフトしているように思えます。
 それに、氏自身も論文の内容が真実かどうかという部分にしか関心を持たず、国会の答弁でもその事に焦点を合わせているのはどうかと思います。自分の意見の正しさを証明する場にしようとしているのなら、ピンボケもいいところです。

とりあえずやめていただいて正解です。

小笹 仁 さんのコメント...

どなたか教えて下さい?
旭日旗をかざし街宣車を乗り回す右翼・靖国神社に皇軍軍服で参拝する人たち・車に日の丸を付けて乗り回す人たち・田母神自衛隊(同じでないと信じたい)は、戦前の国家体制:言論の自由のない軍人が専横し、特高・憲兵が監視するに回帰したいと考えているのでしょうか?
混沌疲弊していると民主国家日本より、彼らが唾棄する北朝鮮と同じ帝国日本の方が善かったと?
私は幼稚園の自由絵で戦艦を描き、小学校の恩師は戦艦金剛に乗艦していた時の話を、中学の教師の1人は、中国での刺突訓練での手の感触の話を聞き、「フ~ン、豆腐の感じなんだ!胸より腹部を…」なんて、無邪気に昔話として聞いていました。
田母神氏の年齢・それこそ彼らが言う“日教組”の教育を受けた私より若い世代が賛同することに驚愕しています。
彼らは、何処から仕入れて来るのでしょう?
オピニオン・リーダーを自称する櫻井よしこ女史は自己のブログで「外交努力が尽き果て、戦争になった」。NHKでは「アジア諸国は感謝している。文句を言うのは中国人と朝鮮人だ!」と言い放つ。
『理』があれば、他国を侵略し・殺傷しても善いと言うのだろうか?
逆に相手に『理』があれば黙って殺していただく権利があると…?
また、田母神氏は、自国民保護のためなら出兵するも“可”とするなら、彼らが同一視されることを忌避するナチス・ドイツのオーストリア・チェコ・ポーランド侵略の弁法と何処が違うのでしょうか?
歴史観の違い・個人のモラルの違いとして納得するには、不可解です。
彼らは、自己の正当性を主張する論拠を何処から仕入れて来るのですか?
何方か、教えて下さい?
まさか『目的は、手段を浄化する!』なんてことは無いですよね!

G4 Cube Everlasting さんのコメント...

 コメントを頂きありがとうございます。もっと突っ込んで書かなければと思いながら全くフォローをせずにいました。私のコメントがご解答になるとは言えないと思いますが、私なりの考えを述べさせて頂きます。
 私も含め日本人は論理で物事を考える必要がない社会に生きているため(空気で物事が決められます)に、声の大きさで考えを変える事が出来てしまいます。
 日教組の自虐史観も田母神の被害者史観も実は同根なのです。良く言われる戦前に言論の自由が無かったと言うのは、半分は戦後に責任逃れで口にした言葉だろうと思います(何故ならば、東京裁判で軍に全責任を被せても大丈夫になったからです)。
 戦争が外交の一手段であることも事実です。但し、国益を考えればアメリカのように一度も他国との戦争で主戦場になったことのない国以外で戦争が国益になることはありません。
 似非右翼やネットウヨの意見が勢いを増している原因は、戦前と同じで閉塞感を打破する(要はすっきりしたいという単純な心理)のに、革命や戦争と言う道具は非常に使い易い物だからなのです(そんなので有名になったフリーターもいました)。
 しかし本当に戦争を国益(或いは私益)に繋げようと考えている連中は、もっと冷徹な計算で戦争を行います。つまり、外交で解決するよりも戦争を仕掛ける方が得るものが多いと判断したので戦争を起こしたと言うことです。
 残念ながらと、日本にはそこまで腹の据わった考えで国益のために戦争を考える(戦争がしたいという意味ではなく冷静に考えれば日本が対外的な戦争をして得るものとがない分かっていると言うことです)人達はいません。そして、国民もそんな教育は一切受けてきませんでした(自虐史観でも被害者史観でも本当の戦い方は学ぶことは出来ません)。そう言う国が威勢の良いことを並べ立てると神国日本になってしまい揚げ句の果ては最後には”神風が吹く”になってしまうのです。
 田母神史観では騙した奴が悪いとなってしまいますが、詐欺と同じで騙されないように十分に考えることもしなかった方も同様に悪いのです。
 若い人達が田母神史観に単純に賛同するのは、以上のように自虐史観だけで教育され、疑問に思っていたいたことを覆すのに手っ取り早い答えが提示されたからに過ぎません。実は例の論文に書かれている事はほとんど事実だと思います。但し、自虐史観と一緒で都合の悪い事実は書かれてはいません。皇軍と言いながら海軍と陸軍は全く別の思惑で戦争をしていたことなどはどこにも書かれていないのがその証拠です。
 戦前は軍国主義だったと言われますが、戦前も現在も日本は官僚主義の国です。戦前は官庁の中で軍が相対的な力を持っていただけで、やっていたことは陸軍省や海軍省の省益確保だったのです。
 「省益は国益に優先する」
それが、日本の実体です。だからこそ省益のために国益を無視した政策を平気で策定することが出来るのです。長くなりましたので、本日の新たなblogとして掲載もさせて頂きます。