純粋持株会社などというのが世の中にはある。古くは資産譲渡の手段(相続税の回避のために西武などが使った手だ)として使われていたが、もう聞き飽きた感のあるグローバル・スタンダード(またカタカナ言葉だから氏素性は知れている。要はただの拝金主義用語だ)では、持ち株会社はあるべき姿(誰が本当の保有者かわからなくできる利点はある)とされている。どんなにきれい事の御託を並べても、資産を商品とするのが株式取引ならば、会社を商品と考えるのが持株会社制度である。
ホールディングだろうが普通の会社だろうが、上手く行く行かないは経営者の能力。同じ連中が采配していたのでは見た目を変えたって何の意味もないのだ。松下が未だに成長を続けていて三洋が駄目になった(GSが暗躍したのもあるが)のは、同族のままだったか、同族を捨てた事が、ホールディングかどうかや外資が入っているかと言うことよりは大きいのだ。江戸の商家の話で書いたように番頭に経営を任せ、家は娘でつないでいくと言うのが正しい経営である。
ホールディングを選択するかが重要なのではなく優秀な番頭に経営を任せるかどうかが重要なのだ。それを理解していない企業はどんな形態にしようが三代目で落ち目になるのは世の常である。江戸の商家が生き残ったのは資本と経営を分離したからなのだ。
結論:純粋持株会社など、会社を生き物ではなく売り物と考えているだけの話。そこで働いている人間のことなど全く考慮していない。純粋などと頭に付いているが動機は純粋に不純なのである。今どき純粋持株会社なんて言い出す奴なんていないか?言ってたらバカだよな。
金曜日, 11月 14, 2008
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