水曜日, 9月 26, 2007

科学とは

 東洋の科学と比べ西洋の科学が優れていると言う全く根拠の無い(単純にそう思っている奴は頭が緩い)尺度が定着して200年。特に医学界は、つい最近まで西洋医学一辺倒だった。そもそも西洋の科学とは唯物、演繹、要素主義に偏り過ぎている。物事の原因を物質レベルに求めるため総体を置き去りにしてしまうのだ。要素主義で物事を突き詰めて行くと全体の違いがなくなってしまう事だってあるのにだ。例えば、生物と無生物の違いも分子レベルまで分解してしまうと何の違いも無い。たんぱく質にいくらDNAを加えたって生物にはならない(オギャーとは泣かないぞ)。つまり物事の本質を見落としてしまう可能性は西洋科学の方が大きいのだ。

 西洋医学の基本は対処療法である。熱が出れば解熱剤。咳が出れば抗炎症剤に気管支拡張剤。もちろん細菌に対する抗生物質のように、たまにはメガヒットもあるが、これだって単なる対処療法に過ぎない。悪いところがあれば取ってしまい、無くてはならないものだったら他から持ってくる(臓器移植)。こういう発想からすれば物理的な人体改造などは、まさに科学の結晶になってしまう(要は西洋人は神など信じちゃいないのだ)。

 それに対し東洋医学は人間を生物として取り扱うために、基本は体質改善や免疫力のアップである。もちろんそんな悠長な事をしていたのでは時間切れになって死んでしまう事もある(その時は対処療法を併用すると言う方法もある)が、西洋医学では直せないものが東洋医学では直せると言うものだって沢山あるのだ(単に知らされていないだけ)。例えば糖尿病で下肢などが壊疽を起こした場合に抗生剤で腐敗を止められなければ切断と言う方法しかないが、東洋医学では蛆虫に幹部を食べさせると言う治療法(マゴット治療は正確には東洋医学とは言えないが、数千年前から行われていたその思想は東洋的である)がある。この方法での完治率はかなり高く(勿論足は付いたままだ)、蛆は屍肉(壊死した部分)にだけ集るので正常な部分を傷つけたりはしないのである。

 対して東洋の科学にも優れたものも多くあったが、ワザとエキセントリックなもの(拝めば治るとか、生き霊がどうとかは東洋でも科学扱いはしていない)を東洋の科学の中に含める事によって引きずり下ろしてきた経緯がある(拝んで治る思想は西洋にもあるのに、それは別枠なのだ)。西洋科学は物質に対してはかなり有効だが、生物にまで拡張した段階で本当は破綻してしまう。そこにあるのが魂だなどとは言わないが、物質と生物の間には現代の科学ではどうにもならない大きな隔たりが存在しているのである。

結論:西洋科学の中には長い目(せいぜい20年位)で見ると、似非科学になってしまうものがゴロゴロ転がっているのである。”あるある”と対して変わらないレベルと言えばご理解頂けるだろうか。

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