田中角栄が何故失脚したかを知りいたければ失脚直前(73〜74年)に何をしようとしていたかを見れば分かる。
73年秋:仏、英。独、ソを歴訪し、石油、ウラン、天然ガスの共同開発について議論
73年11月:アラブとの直接取引を
74年1月:ASEANを歴訪し、インドネシアと液化天然ガスプラント、石油基地建設協力を合意
74年9月:メキシコ原油の開発、ブラジルのアマゾン開発、カナダのタールサンド開発について協議
74年10月:ニュージーランド、オーストラリアを訪ねマウイ天然ガスの開発やウラン資源の確保について合意
先の大戦で何故日本が負けたかを知っていた田中は、全方位外交(アジア外交)と資源外交を積極的に行ったが、これはアメリカ(ロックフェラー)に楯を突く事だった。中国との国交回復と資源外交と言う2枚のカードを引いたばかりに田中は追い落とされたのである。
日本では政治資金の問題ばかりを取り上げる(アメリカの指示で外交の成果は封印)が、田中、大平の二人は日本が普通の国になるために多いに働いたのである。
結論:外交と経済で米国の保守と敵対したニクソンはFBI(国内が管轄)に葬られ、田中はCIA(国外が管轄)に葬られたのである。
火曜日, 9月 18, 2007
登録:
コメントの投稿 (Atom)
0 件のコメント:
コメントを投稿