今回ゆとりのバカ野郎が追い出された(文科省に対する締めつけが強くなった)から表に出てきた履修問題。今年の3年生の履修単位が足りないことに対して問題にしても何の解決にもならない。それじゃもう既に卒業してしまっている連中をどうするんだと話がなければいけない。責任を取ってもらうのは生徒ではなく、”ゆとり教育”を推進して授業時間を減らし、それをよしとしてきた今までの文部省や学校のシステムの問題なのである。要するに戦前の教育制度のようにバカチョンは金でも積んでバカ用の大学に行くくらいしか方法がないという教育制度にするべきなのだ。少なくとも戦前の大学(今で言う大学院)をでた人は今野大学院をでた人とは比べ物にならないくらい優秀だったのだ。
ようするに日本がバカになってしまったのは授業時間の問題ではなく、学校側で学生を選抜しない(不平等だと言うのだろうが、平等が良いというのは幻想だ)現行の教育制度にある。戦後60年間の間大きな変更がなく(根本の思想が変わっていないので変わった事にはなっていない)来たことに問題がある。今回のような問題を解決するには、旧制の学校制度に近い、選択と選抜によって教育のあり方を変えるしかない。それなくしていくら話をしての時間の問題なのである。
結論:今の中学校は戦前の高等小学校レベルである。高等学校は旧制の中学校のレベルもない。大学だって旧制の高等学校のレベルではなく、恐らく旧制の中学校レベルだろう。本来誰でも平等に教育を受けるというのは初等教育に限られる。平等でも良いのはそこまでだ。それを勘違いするから現在の大学のように初等教育になってしまったのだ。全てを旧制に戻すことは不可能だろうから、現行の制度にしか付いていけない生徒は現行通りで構わないが、そうでない生徒には旧制に近い学校制度を適用して、全ての学校を差別化するべきである。まずは飛び級を復活し、公立校から左翼を排除することが必要だろう。日本中が神奈川みたいに日教組が在日に乗っ取られたら取り返しが付かないのである。
火曜日, 10月 31, 2006
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