核武装の議論を排除するべきでないという麻生外務大臣の見解を無条件に批判するバカが世の中にはいる(社民党の党首ならまだしも、小沢までそんなことを言ってはお仕舞だ)。議論と言うのは民主主義の根幹である。核武装の議論をすると言うことは核兵器開発に予算を付けることとは全く違う(日本では往々にそうなってしまうのも事実だが、それを粉砕するのが野党の仕事だろう)。こう言った議論は、武装論者と反対論者が互いに忌憚のない意見を闘わせて結論を導き出さなければいけない問題であって(皇室の問題も同様だ)、結論は最後に出るものじゃなければいけないのだ。
ようするに野党だけではなく(特にイデオロギー的に偏っている連中は酷いのだが)日本人はやっぱり言霊にとらわれている原始人ばかりなのだ。そんなことでは何度戦争をやっても勝てはしないし、核兵器だって持ったら必ず使ってしまうだろう。実は議論(文句と違うぞ)をできない人達(自分たちが正しいと思い込んでいる人達だ)が、日本を戦争へと導いた人達の正当な末裔なのだ。ようするに戦前の思想を一番色濃く受け継いでいるのが日本の左翼なのだ(頭がおめでたいので、そのことに気付いていないようだが)。だから天皇制を批判していながら、富田メモでは天皇の御意思などと騒いだりする(結局天皇頼みかよ)。
結論:どうも日本は核武装や自衛権の話をしてはいけないようである。どう考えても冷静に防衛を出来るほど日本人は未だにまともじゃなさそうである。
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