埼玉県の知事が、「自衛官は人殺しの練習をしている」との趣旨も発言をして騒ぎが起きている(批判しているのか、楽なお前らはもっと県民のために働けと叱咤しているのかがよく分からないので批判しても仕方ない)が、実際の人間を殺していないので果たして本当に練習になっているのだろうか。
意味も無く人を殺すのはやってはいけないことだが、国民を守るためには最後には敵の動きを確実に止める力を保持する必要がある。自衛隊の戦闘能力は国民が思っているよりは数段高い。これは徴兵制で集められた軍隊とは比べ物にならないレベルだ。しかしである。自衛隊の戦闘能力は少林寺の演武か、良く言って空手の寸止めに過ぎない。技量は高いが相手を殺そうと言う意志に欠ける嫌いがある(これは自衛隊と言う組織に課せられた重石のせいなのだが)。
この辺りは野蛮人のアメリカとは違い、きれいに勝ちたいという余計な考え(こんなことを考えていたのでは本当の戦争には勝てない)が、戦後の民主主義(かどうかは知らんが)教育の弊害が出てしまっているのだ。誰も卑怯なことをしないという前提条件(性善説)が成り立たなければあり得ない戦争をしたりすることがなければと考えるのだ。
結論:今は日本が直接戦争に巻き込まれる状態には無いが、もしそうなった時につい寸止めをしてしまう(ふと余計な事が一瞬頭をよぎる)ようなサヨクの雑音を今から排除して、本番では決して寸止めをしない自衛官になって欲しい。そして絶対に自分たちは死なない戦闘を心がけて欲しい。自衛隊がいなくなってしまったら、日本を守る術は他にないのである。
登録:
コメントの投稿 (Atom)
0 件のコメント:
コメントを投稿