金曜日, 4月 06, 2007

会議とは

 会議をしないよりはする方が良いと単純に考えるからどうでも良い会議が多くなってしまう。そもそも皆で話しあって決めなくてはいけないことなどは、上下関係のない組織にしか通用しないものだ。どういうことかと言えば責任を取る人がいないから皆で話しあい責任を分けあうと言うのが会議の本質なのである。つまり権限を持っている人が存在するのならば、その人の権限と責任で物事を動かすのが本来の姿なのである。

 それでは何故、会議などするのだろう。これは権限を持っている人間に能力が無いか、責任を取りたくないか、或いはその両方だからだろう。自分の考えを持っているのならば会議ではなく指示を与えればいいのだ。まあ、オーナー企業では会議と言いながらオーナーの戯れ言を聞くだけなどというのもあるようだが、それを会議に参加した人間が具体化出来るのならば、会議の意味もあるだろう。

 リベラルな人達(要は自分以外の連中が権力を握っているのが許せないと言うだけの人)は、合議制は真に民主的で素晴らしいなどと平気でいうが、民主主義の優れているところはテロルを使わずに権力者を弾劾によって引きずり下ろす(新たなトップを選べると言うこと)ことが出きることに尽きるのだ。それ以外のことにまで合議を広げてしまえば談合や無責任体制を有無だけなのである。

結論:会議で話し合わなければ納得してもらえない(しても納得は出来ないだろうが、過半数が賛成すれば提案した人の責任ではなくなる)ような戦略しか考えつかない事が、真の問題なのだ。

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