火曜日, 4月 10, 2007

外人コンプレックス

 英語(外国語全てだ)を自由に使いこなせない人が外人にコンプレックスを抱くのは致し方ないが、話せる人が抱くコンプレックスは始末に負えない。こういう人達は得てして自分を外人側(色の白い方だけであって、色が濃い人を人とは見ていない)に置いて話をすると言う歪んだコンプレックスを持っているからだ。

 まともに考えれば日本人の全てが優秀じゃないのと同程度にどこの国にもロクでもない奴は同じくらいは存在する。人種的にどちらが劣っているかは遺伝子レベルで多少の違いがあるかも知れない(こんなことを言うと人種差別論者になってしまうが)が、そんなに大きな差がある筈はない。要は外人は外国で生まれたので外国語が使えるだけで、それ自体は何もエバレルことではないし、凄いことでもないのだ。

 じゃあ単純に毛唐は大した事は無いとすれば良いかと言えば、これはもっとバカな話で、話を聞いて物を考えているのかいないのかを判断して、聞くに値する人がどうかを決めて付き合えば良いだけである。これは資格があるかどうかで判断をすると言う過ちを避ける時にも有効だ。

 例えば、福島瑞穂のように全く常識がなくても弁護士の資格を取ることが出来ると普通は考えないだろう。福島瑞穂を全く知ずに、始めに資格だけを基準に判断してしまえば、福島瑞穂は立派な人だということになる。普通ならそんなバカな話はないと思う筈だが、これが外人(良く知らない)で、MBAを持っているなどとなれば良く勉強していない人はきっと素晴らしい経営をしてくれると勘違いしてしまう(私はMBAを持っているということは経営センスが無いことと同義だと考えている)。

結論:田舎もんほど外人コンプレックスが強い(これは偏見だ)。そして田舎もんの外人ほど田舎もんの誤解に付け入るのである。

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