バージニア工科大学の事件は信じられないものだったが、その事件に対する韓国人の反応はもっと信じられないもんだった。被害者に対する追悼の気持ちよりも先にまず自分たちの身の安全のことを考えているのだ。曰く”当初、中国人の学生が犯人だとされた時は安心していたが、今後は韓国人に対する冷たい視線にどう対応すればいいか解らない”。曰く”今後は韓国から来た韓国人とは言えなくなった。誰かが尋ねれば当分は中国人か日本人と言うしかない”。
何をどう考えるとこういう話が真っ先に飛び出すのだろう。私自身、昔カリフォルニアの暴動で韓国人が暴れて問題になったことがあったので、これでまた差別されるのだろうなとは考えたが、それはもともと韓国人が好かれていないという気持ちからである。大体、ほとぼりが冷めるまで日本人と言おうなどというのはどこから出てくる発想なのだろう。こんな発想をするのは世界中でも恐らく朝鮮人だけだ。
自分都合に合わせて朝鮮人になったり、中国人になったり、そして日本人になったりするのは朝鮮人のお家芸だが、それを恥ずかしいとは考えないのだ。だから、日本に統治された頃は日本人の振りをして尊大に振舞い、日本が負けると急に朝鮮人に戻って、まるで戦勝者のように日本人を蔑んだり平気で出来たのだ。日本にも同じメンタリティーの輩が多いけどね(御免、あの人達は元在日だったっけ)。
結論:はっきり言おう。自ら(同胞は自分と同じ)の責任を回避することを真っ先に考えるほど朝鮮人の心根が賎しいのは、一度も責任を持って国を運営したことがないからだ。こんな国とまともに付き合ってはいけないのである。
木曜日, 4月 19, 2007
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