一度も著書を読んだ事も講演も聴いた事もない。原丈二氏の文章を読む機会があった。
原丈二氏は、日本を公益資本主義社会にしたいと言う。過去に戻る訳ではないがバブル以前の日本は不完全ではあったが公益資本主義により近い社会だった。それを、私は社民主義と捉えフロー型の経済からストック(株では無く蓄積と言う意味)型に替えるべきだと考えているのだ。バブル以前の日本の経済システムの大きな問題点は、民間企業が公益型を目指していたのに、折角ストックされている資本(郵便貯金や年金、簡保)を公益の名の元(公益法人と言う天下り先)に私益(省益)のために使ってしまったことにあったのだ。
役人が増税を必要とする理由は自分達の所得の確保と補助金、援助(定額給付などもそうだ)と呼ばれる利権(人の金で言う事を聞かせられるのだからこんなに有り難いものはない)の拡大である。そして、役人はしゃーしゃーとそれらを公益だと言う。
構造改革が好きな連中がいるが、連中は公営の組織を民間にしてしまうことが構造改革だと言う。民間企業に任せた方が競争原理が働くから効率的だと主張してきたのだ(今でも言ってるバカもいるが)。公益とは効率でも利益でもなく社会を豊かにする事である。社会を豊かにする方法はいくらでもあるが、そのためには想定外の問題が発生した時に持ちこたえるだけの蓄えが必要になる。それを持っていなかった英米はマネーゲームの手仕舞いで全てが消し飛んでしまった訳だ。
真の構造改革とは、役人や政治家から恣意的に扱える資金を奪う事である。それらを奪えば正しい政策で国を豊かにする以外に役人や政治家が評価される事はなくなる。小泉政権では、政治家の利権を奪うために財投を自由に出来ないようにするという論理(そこまでは正しい)の元に、郵政を民営化(そんなことをすれば外資に乗取られる)をしたが、そんな必要は何処にもなかったのである。
結論:思想としては公益資本主義で正しいが、官僚がその言葉を利用して省益の為に動きはしないかと心配だ。官僚と言う人種はそう言う輩なのである。
金曜日, 1月 23, 2009
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