木曜日, 1月 08, 2009

輿論と世論

 戦後の漢字制限で”輿論”が使えなくなり”世論”に統一されてしまった。”輿論”は”public opinion"に対する日本語で、”世論”は”popular sentiments"に対する日本語だったのだから、両者は多数意見と言う部分以外では意味合いの違う言葉だったのだ。”輿論”は”公”の意味が強く、”世論”は”私”の意味が強い。輿論=公論、世論=私論としても大きな間違いとは言えないだろう。戦後、消えたのは”輿論”という漢字だけでなく”public opinion"もだと書いたら言い過ぎだろうか。

 ”輿論"と"世論”がイコールになる事もある。国民が社会的に成熟し公と私が渾然一体となった場合か、国家が私物化され公が私に飲み込まれた場合である。アメリカなどはまさしく後者で、日本も同様なのだろう。

 本来、”輿論”とはグランドデザイン(国家や社会)を置いた上で出てくる多数意見であり、”世論”とは多数意見から国家や社会をどうするかと言う考え方だ。”輿論”は”opinion(意見)”なのだから責任や義務を負う覚悟が必要だが、”世論”は権利を主張するだけで責任は伴わないのは、”sentiment(感情)”がなのだから当然の話なのだろう。

 ”輿論”という言葉が普通に使われていた戦前に”輿論"があったのかと言われれば非常に怪しいが、発行停止になろうとも戦争拡大反対を堂々と書く雑誌(東洋経済新報などは、戦争は経済的にマイナスだから止めろと主張。倫理ではなく経済で判断したのだから流石経済誌だ)があったのに、軍隊でもない自衛隊にシビリアンコントロールを要求するばかりの自称オピニオン紙が大きな顔をしている現在よりも少しはまともだった気がする。

代表的な世論
その1:弱者と定義される(実際にそうかは関係ない)人々を手放しに擁護すれば良い(最近ならば派遣切りや内定取消)と考える。例え一方的に権利の主張をしていてもそれをおかしいとは言わせない。定額給付しか思い付かない政党も幼稚だが、内定取消の補償が少ないと騒ぐのも同様に幼稚だ。社会が悪いなどと言って犯罪を犯すバカがいるが、そんな人間だから正社員になれなかったのだと言わないのだとしたら片手落ちも良いところだ。
その2:田母神論文(待っていたのだろうが)で、また文民統制を持ち出したマスコミ。自衛隊が軍隊ではないのに文民統制が必要と言う論拠は何処にあるのだろう。まともに考えるのならば、文民統制を言い出す前に、自衛隊と言う令外の官の立場を明確に定義し直さなければいけない筈だ。憲法を絶対に遵守すると主張するならば自衛隊は軍隊ではなく治安組織とし警察や保安庁に統合すべきだが、そんな議論は一切出てこない。自衛隊を令外の官として温存させた上で憲法9条は絶対だなどと言うのはまさしく感情論である。

 ”世論”が原因(軍隊は道具に過ぎない。戦争を拡大させたのは国民感情の方だったのだ)で敗戦したと言うのに、戦前以上に”世論”が拡大してしまった日本。誰が考えたっておかしいと分かる新自由主義(小泉や竹中)を認めたのは国民の方である。その結果が現在の経済状況なのだ。

結論:自分で物を考えない人は人の意見に簡単に左右される。世論調査の結果(本当にしているかどうかなど怪しいものだ)など、洗脳の道具(それも一番幼稚な)だと誰か皆に教えてくれないかな。勿論私の意見を鵜呑みにするようでもいけない。要は自分でまず考えろと言いたいのだ。そのためには何でも疑って掛かるのが手っ取り早いのだが、度を越すとただの基地外になってしまうので注意が必要なのだ。

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