金曜日, 10月 08, 2010

何でも型になってしまう日本

 何で日本のメーカーは、ガラパゴスを目指すのかと疑問に思い続けている私にとって目から鱗の書籍が手に入った。問題の本は井沢元彦の「逆説の日本史 近世展開編」だが、今回の内容は江戸時代。第一章は鎖国に関するものなのだが、私が以前にblogで触れたように実際に鎖国と言う制度は日本にはなかった。そもそも、家康が禁止したのはキリスト教の布教であり、その意思を持った外国人の入国拒否だった。だから、その意思を持たない(商売だけを考えた)オランダや非キリスト教国である朝鮮を通じ中国とは盛んに貿易を行っていたのが江戸時代。家康の考えはその前の秀吉と同じでキリスト教排斥+自由貿易推進だった。だから、その頃新興国として伸び始めていた非カソリックのオランダとの貿易は問題なかった。その後、非カソリック(宣教師を通じて植民地化を進めない)の筈のイギリスというならず者国家(国を上げて海賊行為を推奨したのだから間違いなくならず者だ)が台頭し、ビジネスライクなオランダ以外は全て夷狄(オランダからの情報でライバルとなるイギリスを始めヨーロッパの国々の悪い情報ばかりを得た。今のカスゴミの偏向報道と同じ)という体制になってしまい外国からは国を閉じていると指摘される状態になってしまったのである。
 
 それとガラパゴスに何の関係があると指摘されそうだが、鎖国と呼ばれる政策は、言え香具師う存命の時代には二つの目的があり、それはキリスト教排斥と自由貿易だった。つまり、キリスト教を侵略の武器とするポルトガルとスペインを排除するが、貿易は盛んに行う。本来、交易を禁止したのはたったの二カ国だけで他の国には窓口を開いていたのである。それが、オランダの讒言を鵜呑みにし他のヨーロッパ諸国との窓口を閉めてしまったためいつの間にか日本は海外との窓口を閉じる政策を取っていると日本そのものが考えるようになってしまった。そして、時間の経過と共にガラパゴス(鎖国状態)となってしまった。
 
 ガラパゴスも確かに悪いことばかりではない。江戸時代に独自の文化を生み出したのもケータイのガラパゴス化と一緒で国内だけを相手にせざるを得なかったからである。しかし、オランダの讒言に縛られている内に世界は変わりかつて世界一であった武装国家日本は昔日の面影もないくらいに戦闘力を失ってしまった。それなのに日本は開国を拒否したのだ一度も鎖国はしていなかったのはずなのに。つまり自由貿易相手が暫時減っていっただけなのに国を閉じる政策を取っていると思い込んでしまったのが日本の鎖国の正体だった。問題先送りで出来上がったパターンが型となり、それが目的化してしまうというのが日本。そうして出来上がったのがガラパゴスケータイ。
 
 国内の目で見れば素晴らしいケータイかも知れないが、海外に持っていったら出来ることが殆どないのがガラケー。国内に閉じたサービス(iモード)と国内向けのハード(ワンセグ、オサイフ)で成り立っているのだから当然な話なのだが、世界中で共通のサービス(Appleのエコシステム)が如何に凄いことなのかは未だに理解出来ていないのが日本なのである。何でも形骸化してしまうからケータイでテレビが見えるのが当たり前になってしまうが(何処かがやれば追随する)本来はコミュニケーションツール。iPhoneにはハードウェアとしてはコミュニケーションで使う以外の余分なものは載っていない(iPod機能があると文句を言われそうだが、音声チップと共有でソフトで処理している)。だからこそ、世界中で同じように使えるのだ。

結論:日本が鎖国状態になってしまったのとガラケーになってしまったのは全く同じ心性なのである。今日からサコッケーと呼ぼう。

0 件のコメント: