火曜日, 5月 26, 2009

西洋医学が嫌いな訳

 家内が看護師なのに西洋医学が嫌いである。臨床では無かったが心理学をやっていたので医者に縁が無い訳でも無いのだが、唯物論に彩られた西洋科学は基本的に生命を置き去りにしていると感じられ非常に嫌いなのだ。科学と言うのは道具であって決して哲学では無い。以前にも書いたことだが、悪いところを取ってしまうのが直したことになるのかという(哲学)論争に踏み込んでしまえば、自ずと答えは明らかなのである。
 
 医学が進歩し直せなかった病気が治せる時代になって良かったと言う意見が一般的かも知れないが、例えば臓器移植はそんなに素晴らしいことだろうか。臓器が畑でとれるとでも言うならば臓器移植も悪くは無いと思うが、ドナーから臓器を譲り受けることを私は認めたくない。臓器の提供者が見つかりましたなどと簡単に言うが、誰かが死んだことによって臓器が得られるものだとすれば、臓器提供者が現れるのを待つと言う行為は自分のために死んでくれる人を心待ちにすることを意味している。人間はいつからそんなに尊大になってしまったのだ。
 
 脳死者などからの臓器提供は健康な臓器を無駄にしないためにも必要だという考え方が、現在では普通だと思われているが、臓器は個人の所有物でも人体の部品(部分ごとに取り分けることは出来るが)でも無い。西洋医学では人間も構成要素に分解できるのだろうが、ゲシュタルト的な考え方をすれば構成要素の寄せ集めで人間にはなりはしないのだ。生きている臓器を全て結合してそれが人と呼べるだろうか。
 
 例えば脳が自我を決めていると仮定し、脳の移植が可能になったと仮定してみよう。例えば、あなたが多臓器不全で死にかけていて脳以外の全ての臓器を入れ替えなければ間違いなくあと僅かで死んでしまう患者だとしたならば、脳死患者と全ての臓器を入れ替えるのだろうか、逆にあなたの脳を脳死患者に移植する(脳の移植が可能ならばこの方が手術は簡単だ)のだろうか?こんなに極端な例ならきっと誰だって嫌な気持ちになる筈だ。
 
結論:西洋医学には唯物論に立った生命軽視の思想が流れている。技術的に可能ならば二個一(にこいち)さえ、やり兼ねない臓器移植を認めるほど私はドライな人間では無いのである。だから科学万能の西洋医学は嫌いなのである。世の中には色んな薬があるが、実際に病気を治しているのは自然治癒力の方だと知らない人が多すぎるのだ。

2 件のコメント:

4 さんのコメント...

私も肉親の死を目の当たりにし、自然治癒力について同様の感覚を持ちました。
「治る」ことが当人にとってどういう意味なのか、ひいてはその状況でどう生きるか、の選択(言葉は妥当ではないかもしれません)というのが私見です。
ただ、判断能力のない幼児の場合は当人ではなく親の判断になり、辛いなぁと感じます。

G4 Cube Everlasting さんのコメント...

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