グローバルスタンダードというアメリカだけに都合の良い理屈に従って企業価値を棄損することに協力した日本。その際たるものが簿価会計から時価会計への会計基準の変更だった。横文字に弱いという官僚の習性(彼らの書く文章は意味不明の漢字かカタカナばかりだ)のせいか、本当の目的は百も承知の上で日本を売ったのかは知らない(恐らくこっちの方だろう)が、世界中でアメリカ以外は取り入れていない時価会計という非常識な基準(アメリカはこの基準を使わないとまともに利益を出せる企業がほとんど無くなってしまったのだ)をまるで日本国憲法のように黙って受け入れたのである。今更の気はするが、今回は時価会計が如何にイカサマかを書いてみたい。
簿価会計における資産の評価額は、購入価格で計上され売却をしない限り市場の取引価格に影響されない。これを持って不良資産隠しだと攻撃されたわけだが、買った土地の広さも購入した株式の持ち株数も減るわけではなく何ら問題はない。売却しない限り確定しない資産価値を四半期毎に計算し直すなど無意味なのである。
それに引き換え時価会計における資産の評価額は、購入した瞬間から変化し始める。本業で利益を出せない会社は含み資産という、本来会計に組み込むことが憚られるような怪しい利益(実際には売却していないのだから1円も利益を生んではいない)を計上して、要は大っぴらに粉飾決算(かわいそうだから錬金術位にしておこうか)を行っているのだ。そもそも、時価会計などというイカサマを認めたためにエンロンやワールドコムの事件を生み出したのにSOX法などという新たな法律を作り出してコントロールしようとしている(日本もJ-SOXを始めたが)。
まともに物事を考えることができる脳味噌を持っていれば分かることだが、会計基準がイカサマなのだからどんなに緻密な法律を作っても不正はなくならない。時価会計とは金で金を生み出すこと以外に何の興味もない株主という名の守銭奴を太らすためだけに作り出された会計システムなのだ。
結論:経済クーデターを起こして株式の取引を停止して、いきなり株価を額面に戻すというのはどうだろう。一瞬にして何百兆という金が理論上消えてなくなるが、実際には一銭も流通しているマネー量は変わらないのだ。国際金融資本が持っている資産の実態も本当は架空の数字(一文無しという意味じゃないぞ。但しそのほとんどは時価という名の言い値に過ぎないのだ)であることがあからさまになる。三角合併などという手法はイカサマの最たるものなのだ。
水曜日, 11月 21, 2007
登録:
コメントの投稿 (Atom)
4 件のコメント:
時価会計で計上することになった「あやしい」利益は、10-K・有価証券報告書などで「あやしい利益」として計上されることになっています。簿価会計ではどれだけ利益が出ているかわかりません。
私なら隠されるより「あやしいですがこれくらい利益が出ています」と開示されるほうを望みますが、いかがでしょうか?
コメントをありがとうございます。実は簿価会計も時価会計も実態は利益ではないので会計に計上する性質のものではありません。あくまでも机上の計算に過ぎないのです。机上の計算通りに売れて始めて確定する利益に過ぎません。時価会計を取ったアメリカは借金まみれで簿価で計算されたのでは潰れてしまうため右肩上がりを良い事に時価と言う机上の計算を使って出てもいない利益を創造しました。主たる産業の崩壊したアメリカではそれ以外に手っ取り早く利益を上げる手段が無かったのです。そして、当時右肩下がりの日本に時価会計を押しつけて日本経済に止めを刺そうとしました。実態経済のある日本は取りあえず持ちこたえ、結局自分たちに火の粉の降りかかったアメリカは時価会計を見直し、空売りを規制するようです。同じ机上の空論ならば売れない限り利益を計上できない簿価会計の方が質が良くはないでしょうか。
会社を作ることを目標に情報収集している者です。
両会計について、理解を深めることができました。ありがとうございました。
時価会計だと、本業は利益プラマイゼロで、株を持っていた場合、その株価の変動で、利益が出たり、損益がでることになると理解しています。ここに税金はかかってくるのでしょうか。損益の場合は、税金がもらえるわけではないので困ったな、と思いました。もう少し自分でも勉強してみます。
コメントをありがとうございます。日本では長い間土地を担保に銀行から融資を受ける間接金融以外に資金を調達する方法がありませんでした(全く無かった訳ではありませんが殆ど機能していませんでした)。バブル崩壊で土地神話が崩れた時に資金を手だてする方法として直接金融(株式の公開)が広まりましたが、実績の無い企業がより多くの資金を得る新たな担保として株式を組み込んだのですが、変動の大きな時価会計を取らない事には利益を確保出来なかったという現実が確かにあります。だから一方的に時価会計を責めたくはないのですが、そこに落とし穴が隠れていて、目的と手段が逆転してしまった結果がサブプライムに見られるような博奕に現を抜かす企業倫理の崩壊だったのです。
そもそも時価会計をとる企業には簿価会計をとる企業よりも強い自制心が必要です。それがなければ取ってはいけない会計手段でしょう。これからも、宜しくお願いいたします。
コメントを投稿