今迄地方自治体の首長は国から予算を分捕って来る事が重要な仕事だった。だから官庁に顔の利く人間が一番だったわけだ(前にも書いたように地方の税収では何も出来ないから)。そうして国からの借金で箱物を作り、それにまつわる建設業者が産業の中心であったのだ。しかし、地方分権が叫ばれ各地方自治体が自分の懐だけで賄わなければ破産する状況に置かれ始めた。これは、売国奴が強いた施策なのだが逆戻りさせるのは容易な話ではないし、いっそのことそれを当たり前と受け入れ積極的に動くべき時になったとも言えるだあろう。
江戸時代の封建制度のように、それぞれの藩が独立採算で運営を行っていた時には地元の産品を如何に収入源(現金化)にするかを考え特産品化していったわけだが、そのためには当然セールスが必要になる。当然の話だが黙っていたのでは金のように価値が明らかな物以外では、特産品にはなり得ない。だから首長の一番の仕事は営業活動になるのである。
結論:宮崎の東国原のやり方を全て肯定するわけではないが、九州の中でも佐賀と同様に影が薄かった宮崎県が全国レベルで話題になった功績は大きい。全国には特産品が多い割に今一つ光の当りが悪い地方自治体があるが、そう言ったところは世界を相手に特産品で勝負をすれば良いのである。
月曜日, 11月 26, 2007
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