集団自殺と言えば軍の命令だと決めつける、似非サヨク(戦中は似非右翼)ばかりが蔓延って、被害者(多くは子孫の身内であって当事者ではない。だって当事者は死んじゃってるぞ)を盾にとって正義の振りをしているが、彼らは誰から何をむしり取ろうとしているのだろう。こんなことを言ったら遺族の方々には、失礼かもしれないが集団自決を軍令だと認めてもらっただけでは一銭にもならないのは明らかだ。何度も書いてきたことなのでくどいかも知れないが、当時は軍が実際にはやっていない事でもやっているという共同幻想の中で事は進んでいたのである。
マスコミ:大本営発表に尾ひれを付け戦功を多大に、損失を過小に報道。さらには百人斬りなど荒唐無稽の話で戦意高揚を図る。お陰で敗戦の見えている軍隊が崖っぷちまで抵抗しなければいけない空気を作ってしまった。
海軍:戦争をできないのは海軍のせいとは言われたくないので奇襲攻撃(実際はアメリカは百も承知だったのだが)を行った。まともにやって勝てない事は分かっていたので奇襲攻撃をしただけである。すぐに停戦に持ち込みたかったが、周りがそれを許さない雰囲気になってしまった。
陸軍:石原無き(参謀部長解任)後の戦略無き陸軍は宣戦布告無き事変を拡大。アメリカの傀儡に過ぎない国民党を相手に消耗戦に入ってしまう。
米軍:雨あられの艦砲射撃と火炎放射器による攻撃は、捕虜になったら全員殺されると言うデマを信じさせるに十分な効果を持っていた。軍令で人が進んで死ぬ事などはないがパニック状態で人が死を選ぶ事は十分あり得るのである。
結論:軍令があったと信じ込ませたのは集団自決を選んだ人々が置かれた状況だったのである。軍人に捕虜になるなら自決しろという指示はあったと思うがそれを拡大解釈させたのは人々の不安だったのである。
木曜日, 11月 01, 2007
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