木曜日, 10月 11, 2007

文化を生み出すもの

 古来、文化を生み出してきたのは貴族などの働く必要のない生活に余裕のある人達だった。これは、世界中に共通で王侯貴族やメディチ家のような大資産家が芸術家を囲い、そして絵画や音楽を始めとする文化を揺籃したのである。何故そうだったのかと言えば、文化を理解するには教養が必要だが、それを得るには教養を得るだけの時間的余裕が必要なのである。そしてそんなものはつい100年前まで、一部の国を除いて、どの国も持っていなかったのだ。そしてその例外の一つが日本なのである。

 何故日本が例外かと言えば、町人と言う被支配者階級(ヨーロッパの封建制で考えれば当然そうなる)であるはずの町民は寺子屋(千住から始った)などで読み書き、算盤を習い(イスラム圏はどうだったかは知らないが先進諸国だと言い張っているヨーロッパと比較するまでもない識字率を誇った)、他の東アジア圏の国(科挙と無関係な人は門司など必要なかったのだ)とは比較できない程、多くの情報を得る事が出来たのである(もちろん元禄以降だとは思うが)。

 風が吹けば桶屋が儲かるではないが、上の二つの段落からある事柄が明らかになってくる。一つは江戸時代の庶民には文化を育み、理解できる程の生活の余裕が合ったと言う事。そして明治以降完全に否定の対象となった日本独自の封建制(江戸幕府が西欧の封建制とは違う事は明らかだ)は、暗黒ではなかったということである。もちろん冷害による飢饉などは、江戸時代中に何度か起きているが、ペストやで壊滅的な被害を受けたヨーロッパと違い約300年の間に順調に人口を1,000万人延ばしてきた江戸幕府を評価すべきだろう。

江戸時代に花開いた町人文化
その1:浮世絵
その2:俳諧
その3:歌舞伎
その4:大衆小説(黄表紙)や児童小説(赤表紙)

 その多くは前述したように元禄以降(17世紀後半)に隆盛を極める訳だが、小説が読まれるには文字を読める事が前提だが、関ヶ原の戦いがあったのは1600年。それ以前から文字の読み書きを出来るのが当たり前であったと判断するのが正しいだろう。

結論:室町以降日本の識字率は80%近くを誇り、それは現在のヨーロッパの識字率と同程度である(江戸時代西欧諸国の識字率は僅か30%と言われる)。消費するのではなく再生する社会も江戸時代に完成していた。それを完全に破壊してしまったのは戦後なのである。誰が悪いかはもうお解りでしょ。

1 件のコメント:

匿名 さんのコメント...

失われっぱなしのようですね。。。