ナチスずいてしまうが、ナチスの金看板であるユダヤ人の虐殺(病死と餓死がほとんどで、ガス室は幻)の事の起こりはワイマール憲法などという理想主義に走った憲法を制定し、ヨーロッパの中でも移民に対して寛大だったドイツに流れ込んできた白いユダヤ人(宮廷ユダヤとは違い貧乏人)達を国外への移住計画だった(シオニズムに協力)。何処かに受け入れ先があるだろうと始めた移住前の簡易施設であったはずの収容所からユダヤ人が移動することがなく(収容所間の移動はあった)戦況が深刻化する中悲劇が起こったのがユダヤ人の虐殺の真の姿だったのだ(まさか皆が捕虜になるなどとは考えず兵站も確保されていないまま捕虜をとってしまったバターンの死の行進と同じ轍を踏んだと言うこと)。
パレスチナの地にユダヤ人の国を作ると宣言(バルフォア宣言)したイギリスが、ドイツのシオニズム運動に協力するものだと考えたのが齟齬の始まりだったのだが、ドイツのようにハザール人(貧しい白いユダヤ人。アシュケナジム)が多くないイギリスは真剣にこの問題を考えてはいなかったのだ。大体、バルフォア宣言を送った相手はユダヤとは言ってもセファラディ(それもその中の王とも言える宮廷ユダヤ)のロスチャイルド。邪魔な存在であるアシュケナジムを何処かに隔離しようと立てた計画がシオニズム運動であって別にユダヤ人国家をプレゼントしようなどと考えていたわけではないのである。
結論:ナチスのユダヤ人虐殺を持ち出すことによってイスラエル建国は、まるで美談のように考えられているがシオニズムと言うのは白いユダヤ人(アシュケナジム)の人種隔離政策に過ぎないのだ。
木曜日, 4月 29, 2010
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