多摩市で障害者の”害”は差別になるので”碍”か”がい”にすべきと2003年に決定していたらしいのだが、障害者が他の人の害になるとでも考えていたのだろうか。そう考えていなければ差別語とはならないはずである。
差別とは言葉の問題ではなく心の問題であると言う事を理解出来ないノータリンが差別を産んでいるだけなのだ。言葉にとらわれることがどれくらい馬鹿げた事なのか言葉狩りをする連中はわかっていない。
結論:いっそのこと片輪にすれば誰にも害を与えたりしないよ。
金曜日, 3月 02, 2007
登録:
コメントの投稿 (Atom)
0 件のコメント:
コメントを投稿