ハンドヘルドPCやタブレットPCにはWindowsの廉価版を用意すれば良いと、未だに考えているMicrosoft。彼らにとってはポケットサイズであろうがタブレットサイズであろうがWindowsと同じ操作体系があれば事足りると信じていたのだ。だから、その上タッチパネルやスタイラスペンを用意しているのだから喜んで使えと言う事なのだろう。そして、それが全てを失う根本的な原因なのである。
対するAppleは成功はしなかったがNewtonと言うMacとは全く違う操作体系(スタイラスペンを使ったタッチパネル)のOSを開発していた。Jobsが復帰した時に真っ先に槍玉に上がりプロジェクトそのものは公式に解体されてしまった(1988年)のだが、その理由は携帯電話は日増しに高機能になりPDAというジャンルが生き残る道はないと言うものだった。そして、Appleが打ち出してきたのがiPod。Newtonと同じARMのチップを使いながらそれは似ても似つかない音楽専用プレイヤー。誰もがNewtonの事など忘れ去り、Newtonが消えた後Jobsの予言通りPDAの覇者だったPalmも知りつぼみとなり携帯電話用OSで生き残りを図る事になってしまったが、全てはJobsの思うつぼだったのだ。
Jobsの戦略
その1:Newtonを公式に葬る
チームを解体してしまったのでNewtonは死んだと思い込ませる事に成功。PDAは確かに死んだが、Newton OSで考え出されたインターフェイスのブラッシュアップがスタート。全く独自だったNewton OSのOSX上への移行が開始される。後は必要とされるデバイスと時が来るのを待つだけである。
その2:iPod発表
最初は趣味の世界(Apple TVと同じ)に過ぎ無かったiPodがWindowsをサポートし、Music Storeを中心とするエコシステムを構築。圧倒的なシェアを取った事を受け各社雨後の竹の子のように同様のデバイスをリリースするがエコシステムを持たないものがAppleに一矢を報いることなどあり得なかった。
その3:iPhone発表
ケータイなど出さないと言っていたAppleが出したものはスマートフォン。それまでスマートフォンと言えばRIMやWindows Mobileをベースとしたビジネスフォンの事であったが、AppleのそれはNewton OSを彷彿とさせる操作方法がスマートな携帯電話であった。Newtonを公式に葬り去ってから既に10年。Newtonの技術の上にフィンガーワークスのマルチタッチが載ったものがiPhone OSの正体だったのだ。
その4:iPad発表
タブレットPCが受け入れられなかった最大の理由は出来る事は貧弱なのに、やらなければならない事がPCよりも面倒なインターフェイスとボッタクリ価格にあることを理解しているAppleは廉価版PCに過ぎないネットブックにぶつける形でiPadを発売開始。どこまで行ってもPCの範疇から出る事のないWindowsベースのタブレットPCを時代遅れにするために、Appleが選んだのはOSXではなくiPhone用だと考えられていたiOSだった。
1998年に葬った筈のNewtonのエッセンスを元に開発が続けられていたiOS。シングル・ウィンドウで動くのもファイル管理の概念が必要ないのも、アイコンが並ぶのもタッチ操作なのも全てのルーツはNewtonにある。Intelチップ用だったNeXT StepをわざわざPowerPC用に作り替え一切のIntelマシーンを出さずに10年近くIntel版の開発だけ続けていたJobs。Newtonだって殺した振りを続けていたと考えても良いかもしれない。
結論:事務用OSをライセンスするだけで商売になっていたMicrosoftが考えていたのはWindowsがどこでも動く事。Appleが目指していたのはMacさえ使い辛いと思っている人向けのパーソナルコンピュータの再定義。ビジネスユースしか考えていない連中にタブレットを作る事など所詮無理な話だったのだ。
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