金曜日, 1月 14, 2011

真実と事実 〜第三十三章〜

 久々の大人気大河ドラマだった(一話も見ていないし、それ以前の大河がどれ位人気があたかも知らない)龍馬伝も無事終了したので今回は龍馬の最後について書いてみたい。誰に殺されたかが未だに確定していない坂本龍馬。どこかのバカ首相が「平成の開国」だと騒いでいるが、本当の開国を進めた明治維新前夜。坂本龍馬がどのような行動を起こしたかを再考する事によって犯人は誰であったかを探ってみたいと思う。

定説:京都見廻り組や新撰組など幕府側に役人に殺されたと言うのが一般に知られた話である

事実1:龍馬が進めた大政奉還は討幕ではなく平和的解決だった。まさか幕府が大政奉還を受け入れると考えていなかった薩摩にとって、その手筈を整えた龍馬は諸悪の根源だった。
事実2:近江屋事件当時幕府は龍馬暗殺どころか捕縛禁止を指示していた(討幕派とは見ていなかった)。
事実3:大政奉還後、朝廷は慶喜に内大臣(現在の首相)として国家の運営を任せる気だった。慶喜も全国を動かせる行政機関を持っているのは自分しかないと考えていた。
事実4:長州は謀略、薩摩は暗殺が専門
事実5:龍馬は平和的解決派、中岡慎太郎は討幕派
憶測1:近江屋と薩摩藩の屋敷は近かった
憶測2:内戦を望んでいた死の商人(グラバー)にとって龍馬の利用価値が無くなった
憶測3:土佐を脱藩(諜報員に良くあるパターン)し、様々な人脈を作った龍馬が日本を任せられる人間は結局幕府内の方が多いと気付いた。単純に行動を追うと、土佐のエージェント、グラバーのエージェント(メーソン説)、幕府のエージェントと見えるが、その実は合議制による議会民主主義による政治を望んでいたようである。

 今回は、事実だけではなく憶測も付け足してしまったが、近江屋事件当時、龍馬と中岡慎太郎の思いが違っていたのは事実。大政奉還後に平和裡に中央集権国家への移行を考えている龍馬(慶喜だけではなく幕府内の改革派が中心となる新政府による統治)と、討幕によって薩長土肥を中心とする新政府による統治を目指す慎太郎は内心サヨクのセクト同士の争いのような心理状態にあったように思えるが、元々は倒幕(手段は違うが)の同士。龍馬が一番油断する相手であったのは間違いない。

結論:それ以前はどうかは知らない(それでも龍馬が勝を尊敬し、勝が龍馬を勝っていたのは事実)が、大政奉還時に幕府側(水戸の徳川ならそう考えるかも知れないが水戸は幕府側ではない)には龍馬を敵と考える理由はどこにもなく、龍馬などの動きによって同盟を結んだ薩長や武器の売買で重宝に使っていたグラバーにとって龍馬ほど危険な存在はなかった。維新後長い間龍馬が忘れ去られていたのは新政府にとって邪魔な存在だったから。殺す動機があったのは倒幕派の方だったのだから素直に考えれば下手人は幕府側ではないと考えるべきだろう。中岡慎太郎一人の考えでは龍馬を殺すまではいかないが、薩摩に龍馬の手柄をお前にと言われれば...その上で不意打ちを食らわせた慎太郎が失敗しても外で待ち受けていた薩摩藩士が切り込みそれぞれを打ち取ってしまえば大政奉還の建白書を出した土佐藩の力を削ぐ事が...こんなドラマも考えられるのだ。

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