火曜日, 1月 04, 2011

スケールメリットが許される時代は良かった

 21世紀はPCの独占的な支配者だったMicrosoftが通用しない時代である。誰でも後追いが可能なファブレスで一世を風靡していたDellも今は見る影もない。なぜならばDellよりもコストメリットの高い製造システムをDellよりも高額で販売出来るAppleが手にしてしまったからだ。
 
 ライセンスビジネスでOSを独占していたMicrosoftはOSで利益を上げなければいけないからシンプルなOSをリリースする事は出来ない。厚化粧を施して見映えを良くしなければ誰も金を出してはくれないからだ(目に見えない機能の進化では財布の紐は緩まない)。一般ユーザは最初からそんなものは望んでいなかったがそれに代わる選択肢が無く、最初からバンドルされているOSを買う事は無かった為そこに費用が発生している事を意識する事もなかった(OSが変わればPCを買い替えるだけだった)ためにMicrosoftの栄華は続いていた。
 
 PCが一般家庭でも当たり前になった時によりによってVistaという失敗作をデビューさせWindowsユーザがOSの存在に気付かせてしまったことがMicrosoftの最大の失敗だった。Vistaの失敗を嘲笑うかのようにOSXは毎年のようにその進化を続けPCもユーザ・オリエンテッドなものになる事を教えてくれた。Macが他のPCとは明らかにハードウェア構成の異なるPowerPCの時代はそれでも良かったかも知れないが2005年にはIntel版へと切り替わり、否応も無くOSの出来を比較される事になってしまった。そのためにMicrosoftが取った戦略は、何が何でもAppleの先を越すことだけだったが、それが足下をすくう結果になってしまったのだから情けない話だった。
 
 そして、Windows Mobileを嘲笑うかのようにデビューしたiPhone OS(現iOS)。限られたメモリでアプリを動かせるようにするために用意されたのはシングルタスク(現行iOSもプリエンティブマルチタスクに過ぎないが、ノンプリで動かしているAndroidを見れば分かるように資源の最適化を考えればOSとして美しいかどうかが最善ではない)。アプリケーションの多くは少ないメモリでも実行可能な単機能なツールなのだが、それを組み合わせる事によって少ない資源でも快適に処理が可能なことがどれだけ重要かを再認識させる事に成功したと言えるだろう。低廉な開発費で誰もがプログラマーとしてデビュー出来るApp Store(間もなくMac版も登場)を用意した事により、アプリを作るのはMicrosoftやAdobeのように巨大企業でなければならないという定義を破壊。パッケージ版が世の中から完全に駆逐される事はないだろうが、MicrosoftやAdobeが手を出さないコンパクトなアプリが数多く公開される事になればボロ儲けを企む事は困難になって行くだろう。
 
 Object型のアプリケーションを提供しようとして頓挫したOpenDoc(AppleとIBMがMicrosoft対抗で規格化)は、小さなモジュールを組み合わせて自分用のアプリにしようと言うコンセプトだったがモジュール同士を連携させる事が容易でなかったことが敗因だったが、iOSは独立したアプリを連携させる事によってそれをより簡単に実現する方法を見つけ出したように思うのだ。

結論:スケールメリットが物を言う時代はMicrosoftのような恐竜が覇者だったが、ネズミのような小回りの利くほ乳類の時代にはMicrosoftのような巨大企業は単なる大食いに成り下がってしまった。日本のケータイと同じようにMicrosoftも既にガラパゴスになってしまったのだ。

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