水曜日, 1月 19, 2011

スマートと言う言葉の定義

 スマートフォンだ、スマートTVだと最近やたらに安売りされているスマートと言う言葉。Appleがスマートフォンを再定義したのがきっかけなのだが、その実見かけが似ているAndroidとiPhoneではその定義は180度違う。iPhoneはユーザの要求にスマートに応えてくれるものがスマートフォンと定義。それが出来ていないそれまでのスマートフォンは単なるビジネス用にツールと切って捨てた。それに対しWindows(正しくはOffice)が動くならばスマートフォン(電話機能もあるポケットPCだと思うのだが)だと考えていたのがMicrosoft。Windows CEに手を加えれば皆飛びついて来ると考えていた。そして、しんがりに登場してきたのがAndroid。LinuxとJavaという黄金のオープンソースプラットフォームをベースにしたフリーOS(LInuxをベース手を抜きやがってなどと言えばOSXだってベースはBSDじゃないかと突込まれそうだ)を好きに使ってと公開したのでOSの開発に息詰まっていた(当然ハードの開発も)メーカーが大集合。見た目はiOSに近付いてきたが、そのインターフェイスは誰にでも使いこなせるほど練り込まれてはいないのである。ということでスマートと言う言葉に対する各社の定義を書いてみたい。
 
Appleの定義:0歳から死ぬまでどんな人でも触れば使えるようになる(メールの設定などは字が読めないと辛いが)インターフェイスで動くことがスマートの条件。何ができるかを決めるのはユーザである。
Microsoftの定義:クールなOfficeがクールに動いて、Apple以上に派手なのがスマートの条件。実用になるかならないかはユーザの使い方次第なのである。使い易さを要求するユーザはスマートじゃない。
Googleの定義:Linux、Java、WebMとオープンソースプラットフォームだけで組み上げたスマートなOSが使われているかどうかが重要(この辺りはMicrosoftと変わらない)で、メーカーに自由裁量権を与えUIを好きなように触らせる行為がGoogleの技術者が皆スマート(頭が良い)からである。
Androidフォンユーザの定義:どこで仕入れたか分からない知識を元に「Android端末をいじくり回せる(使いこなすのではなくいじくり回す事に意味がある)俺ってスマート」が定義のベース。このユーザって、ある意味おかしな事なのだがLinuxユーザだけではなくWindowsから来た人が殆ど(要は自作系PCの人達)。自分の力でどれだけ良いものに出来たかを自慢したいだけなので素のままで使い物になるかどうかなどどうでも良いという一般ユーザを蔑ろにさせる連中である。自分がスマートと思われるかどうか(実際にAndroidを使いこなしている人をスマートと思う人は少数でムキになるほどキモいと思われる)
Windowフォンユーザの定義:Windowsフォンユーザなんてものが本当にいるのかは知らないが、もし存在するならばOfficeの文書が開けるかどうかだけがスマートの基準。それしか使えるアプリがないのだから、Blackberryで読めるならば使い易さなんてどうでも良いので乗り換えてしまったのだ。
iPhoneユーザの定義:林檎マークが付いている事。それ以外には何もいらないくらいにAppleを信じている。

 Google TVが駄目だったのでCESに登場した各社のテレビがスマートTVだったのはスマートフォン景気の御利益にあやかろうと悪あがきしたのだろうが結果は私の定義の通り、どうやって使いこなせばよいのか分からないようなもののどこがスマートなのだと太平洋を挟んだ東京で呟いたのである。

結論:ことさらにスマートフォンだと騒いでいる連中の作っているスマートフォンはユーザにとってスマートではない。iPhoneユーザがiPhoneを使う最大の理由は、スマートフォンだからではなくiPhoneだからなのである。

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