年金問題などが発生し、社保庁がロクなもんじゃない事が明らかになった2007年。新自由主義の化けの皮も剥がれ始めているが、日本のこれからを考える良い機会になりつつある。制度疲労をとっくの昔に起こしている日本の官僚制(公務員制度そのもの)の解体と新自由主義のやったもん勝ちの売国行為がどういう訳かリンクした小泉改革路線。既に多くの国民が血を流している訳だが、血を流すのは流した奴らが悪いという改革派の論理はもう成り立たない事が明らかになりつつある。
新自由主義の発想をすれば、少子化だからこそ福祉政策は成り立たないので、弱者は放っておけという話なのだろうが、少子化で今後現状の年金制度が成り立たない事が明らかになったからこそ、世界一の資金力を持つ日本が国家ファンドを作り上げて福祉の財源として活用しなければ行けないのだ。だからこそ金融は民営化するのではなく国営化に進んで行かなければならない。
そんなことをされては国際金融資本が立ち行かない事が分かっているからこそ、日本人が(自分たちの実力に)気付かぬ内に、簒奪しようとしたのがバブル崩壊以降の経済政策だったのだ。それなのに、持ちこたえてしまった日本。日本の円キャリー頼みに煽ったアメリカの住宅バブルは、日本の僅かな金利上昇だけで弾けるほどに脆弱だったのである。
結論:少子化だからこそ、日本の持つ金融資産を有効に使うことによって世界一の社会基盤を作る事が出来る。少なくなる子供から金を集めようと言う発想をする限り先細りだが、少なくなる人を今ある金融資産の運用で賄おうと言うのならば年々取り分は増えて行くのである。
月曜日, 12月 31, 2007
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