火曜日, 12月 25, 2007

フランダースの犬

 欧米では”負け犬”として評判の宜しくない(殆どの人が知らない)”フランダースの犬”を、何故日本人は好きなのかと言うドキュメンタリ映画が作られたという新聞記事(読売か?)の話題が朝のワイドショーで取り上げられていた。ドキュメンタリ映画の監督は「日本人の滅びの美学」が、”フランダースの犬”を評価する原因だと分析したらしい。

 流石は、西洋人。なるべく崇高な理屈で日本人が、”フランダースの犬”を評価しているのだと考えたらしい。まあ、お言葉を返すようですが基本的に日本人はそんなに崇高な民族(理屈好き)ではありません。女子供(もちろんおっさんも)が、”フランダースの犬”で涙するのは、単純にかわいそうだと感じるから(理屈ではなくあくまでも感情)だけ。基本的に、何も悪くないのに不幸になるのを日本人はかわいそうだと素直に感じるが、一神教の国では神は時に理不尽な罰を与えるのでそんなことで同情(かわいそうとは考えない)はしない。

 日本人でクリスチャンになった人は、恐らくキリストが皆の身代わりになって殺されてかわいそうだと同情したからだ(と思う)。要するに、日本人が弱者に肩入れするのは美学ではなく単にかわいそうと言うメンタリティからなのである。その証拠に、赤穂浪士にしろ何にしろ大抵は相手が敵役(悪者)とされている。滅んだから肩入れするのではなく、悪くない(善人)のに不運でかわいそうというそれだけの話なのである。だから、本当の事(浅野内匠頭が精神障害者で、赤穂浪士はお家再興が叶わなかったので残虐行為を行っただけ)を知ったら赤穂浪士などを好きだということはない筈だ。

結論:日本では死んだら神様(仏様)だが、西洋では復活しなければ神にはなれない。日本のアニメではネロは死んだので天使になったと隠喩した場面で終るが、西洋なら天使は死なない(成長もしない)から天使なのだ。全く逆のメンタリティを持った西洋人に日本のアニミズムは、絶対理解出来ないのである。

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