木曜日, 2月 16, 2006

先が見えていない

 地上波デジタルと言う徒花が新しい放送を提供するなどと思い込んでいる(何も考えていないだけだろうが)政財官の馬鹿どもは5年後が分かっているのだろうか。2011年に地上波アナログ放送を終了すると言っているが、そもそも放送と言うものがそのままの姿で残れるのはわずか10年位だろう。そうなると今から全てをデジタルに切り替えたとしても電波の形で放送を捉えるというスタイルももう残された時間は10年もないわけである。

 何故そんなもののために金を使う必要があると言うのだろう。通信と比べて放送の方がゴージャスであった時代は既に過ぎ去ってしまった。通信で行えない事は放送でも出来ない事なのだ。テレビと言うものはPCの機能の一部になっているが(もちろんここで言っているのは日本のメーカーのようにチューナーを内蔵する事ではない)、放送も通信の一部になってしまうのである。主体性は見る側に移り作る側は今まで以上にユーザーの希望に細かく応えられるかどうかをとわれる事になるのである。要するに電波塔や放送局の器材の問題ではなくコンテンツの問題になるのだ。

 未だに新しい時代を考える場合に箱物のことしか思い浮かばない連中には将来の姿を思い描く能力はないのだ(恐らく昔から無かったのだろうが、物そのものもない貧しい状態からスタートしたので化けの皮がはがれる事がなかっただけなのだ)。


結論:政財界のボンクラには明日、明後日の将来の視野しかない。無駄金を使ってしまう前にどこかの誰かが世の中を一機に変えてくれないだろうか。残念だが他国に頼らなければ、無駄金が使われそうなのである。

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