命が惜しいのかまだ今のところ、そんな見方をする人はいないが秋篠宮がついにクーデターを仕掛けてきた。正直こんなことを書くとまさに不敬のそしりは免れないが、皇室を絶やさないということに対する思いは皇太子殿下よりも秋篠宮殿下の方が強かったのだと思う。皇室典範の改定が議題にさえあがることがなければ、恐らく第三子という考えは無かったであろう。秋篠宮も出来れば皇太子殿下に男子が誕生する事を望んでいたと思われるが、妃殿下の健康を考えた場合それはかなわぬ夢に過ぎない。そこで窮余の策として妊娠が可能な自分の妻に男子を産ませると言う方法をとってきたのである。もちろんそれだけではないのだが...
2004年皇太子殿下の妃殿下に対する人格否定の発言に対した秋篠宮の発言は、皇太子に皇太子の資格はないと取れるような攻撃であった。彼の真意はそもそも皇族には人格など無いではないかというところから始まっているのだと私には思えた。確かに現憲法第1条から8条までは、皇室に関する規定だが、その中には民主主義も人権主義もない。だからこそ自分のしたい事が出来ないならば嫌だと言う雅子妃殿下の気持ちは皇室には有るまじきことだと映ったのだ。そして、雅子妃殿下のその気持ちを第一に考える皇太子は皇族として間違っていると秋篠宮はクーデターを決意したのだ。
日本では軍事クーデータは出来ないが皇位継承権を持つ男子を得る事によって天皇を自分のものとする事が可能になる。皇太子一家にはその可能性(男子誕生)が殆どない現状を逆手にとった形になったわけだ。第三子ご懐妊は慶賀の至りであるが、もし本当に男子が誕生した場合どのような事が起きるのかが心配である。
結論:今回本当のタブーに触れてしまった。これはクーデータ以上の問題なのである。
木曜日, 2月 09, 2006
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