木曜日, 2月 23, 2006

スピリチュアルの前に小乗仏教でもやれ

 最近(いや昔からか?)、細木和子や江原啓之などという詐欺師が盛んにテレビで偉そうな事を宣っているが、どうしてあんな連中の言うことを信じるのだろう。それほど心が貧しいのだろうか?基本的に細木和子の言っている事(墓参りをしろとか、義理を重んじろなど)は間違っていない。そうではなく占いと言われる部分に根拠も正当性も認められないと言う事だ。あれはただの口の悪いババアのざれ言だ。もちろんその世界に顔が利くようであれば人気者の一人や二人を作り出す事が出来るので、それを占った結果(占われた方は当ったと思うわな)だと言えば良いのである。まあ裏社会と繋がっていることは間違いなさそうだから...

 さて江原啓之の方だが、彼はオーラや守護霊が見えると言っている(本当に見えるようなら入院が必要だ)。非常に柔らかい声と笑顔(薄ら笑いとも言う)を武器に、スピリチュアルだかカルピスだか分からないカウンセリングを売り物にしている。大体、薄ら笑いはしているがあの蛇のような目はちっとも笑っていないのにどうして騙されるのだろう。初めてあの顔を見た時に俺は、てっきり此奴は明き盲なのかと思ったくらいである(ようするに目が死んでいたのだ)。

 前世や守護霊をネタにして悪い事が起きているのは、その本人の所為ではないという逃げ道を作る事で信者を増やしているのが、そのやり口である。そもそも自分の人生を人の所為にすると言うのは一番卑怯な方法なのだ(何故なら簡単に相手が納得するからだ)。そんな姑息な手段が許されるならば誰でも簡単にカウンセリングが出来てしまうのである。ようするに江原啓之が支持される理由はその声と言葉遣いが心地よいからであり、音を消してあの顔をまともに見ていたらきっと気分が悪くなってしまうに違いない。それと瞑想のように目を瞑りながら話す事も多いようだが、恐らくその視線を読まれない為だろう(優秀なカウンセラーならば視線で嘘をついている事を見破れる)。

結論:騙される奴が悪いので細木和子や江原啓之を批判はしない。問題はそんな胡散臭い連中に公共の電波(放送局はすぐそう言うじゃないか)をそんな奴らのために解放するその根性の悪さだ。どうせそんなことに電波を使うのならば、毎日池田大作司会のワイドショーでもやっていれば良いのである。彼が占いをすれば間違いなく世の中の殆どのことが、その通りになるに決まっているのだから。間違いない(長井は学会員)。とは言え悩みがある人に一番良いのはラマ教の寺にでもこもって心と体を鍛える事だろう。

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