日曜日, 2月 19, 2006

ファブレスは自滅への坂道

 効率化(近視眼的なという冠詞が付くが)を追い求める企業の究極の選択がファブレス化であるらしい。しかしこれは短期的な効率化しか生み出さない。ものを作らなくなると技術の蓄積が無くなってしまうため、全ての商品が机上の空論(デジタル設計)に陥ってしまう。デジタルの問題点は非常に効率的だと言うことだ。理屈さえ判っていればズブの素人でものを作ることが可能になってしまう。但しこれだけでは要求のあった仕様通りにもの作ると言うことは出来るが、それが本当に使えるものかどうかは作っている本人にも判らないのである。つまりアナログで、ものを作ったことがある人間でなければ気付かない問題点をデジタルで表すことが出来ないことに気付かない人が多すぎるのだ。

 例えば、Appleのウォズニアックやバレルのような天才は信じられないくらいに少ないパーツでハードウェアを設計することが出来たが、それは回路の全てを理解し重複を避けることを経験的に知っていたからである。これは機械では不可能なのだ。彼らが設計した回路を大量生産することはラインに出来るが、ラインから彼らの設計を越えるものは作ることが出来ない。つまりファブレスとは安く物を作るシステムであって新しいシステムを作り出すものではない。自社に生産工場を全く持たなくなれば、技術の蓄積が無くなってしまいいつかは自壊してしまうだけなのである。

 典型的な悪い例がSONYだろう。上手く行っている例はDellだ。Dellが何故上手く行っているかと言えば、あの会社は新しいもの独自のものを作ろうなどと端から考えていないからだ。安く売って利益が出ることだけを目指しているから、独自のハードやOSを持たないことを恥ずかしいと考えたりしていない。それに引き換えSONYは本当の物作りをしてきた人が社内から居なくなってしまっているのに、まだ技術の蓄積があると勘違いしている。実は技術の蓄積とは人の蓄積のことなのである。今勝ち組になっている多くの企業はそのことに気付いている企業なのだ。

結論:物を作ったことがない人間が経営者になってしまった企業は、物作りの重要性を忘れてしまう。そしてそれは積み重ねからしか生まれないことを理解していない。見た目は真似出来てもその本質は決して真似出来ないのだ。昔からSONYの商品にはネジが多い。これは商品の設計が悪い(物作りが下手ということ)証拠だ。保証期間しか持たない商品だったら今の中国企業にだって立派に作れる。日本の技術者として本当に恥ずかしくないのだろうか。私は日本人として恥ずかしいと思う。

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