私のblogの読者は私が合理主義が嫌いなことはご存知だと思うが、実は合理まで嫌いなわけでは無いと言うのが今回のネタである。それならば何故、合理主義は嫌いなんだと突っ込まれそうだが、合理主義を道具として利用する連中は自分の都合のために恣意的に幾つか考えられる答えの中から自分に一番利益をもたらす解だけを正解とするために論理や合理を使うからと答えるしかないだろう。太陽の黒点活動が近来稀に見る停滞期に入ると言うのに二酸化炭素のせいで単純に温暖化するなどが良い例だ。
私にとっての合理と言うのは合理主義者と一緒で、自分にとって都合の良い(納得がいくの方が正しいが)方の答えを選択する部分に関しては全く同様である。簡単な例を上げてみたい。野中の一本道で、見渡す限り車の見えない横断歩道の信号が赤であれば無視をするかどうかである。当然私は信号を無視して渡る筈だが、交差点の向こうに警官がいれば恐らく無視しない。計算高いと思われようが、そうする方が合理的だからだ。
何でそんな当たり前のことをと思われるかも知れないが、実は最近こんな簡単な事でもどちらの方が合理的かを判断出来ないロボットのような連中が増えているようなのだ。親や教師の過干渉や過保護が原因なのかは知らないが、何でもかんでも自分の行動を相手の判断に委ねるバカがいるらしいのだ。先ほどの例で言えば自分は無視して渡りたいのだが、交差点の向こうに警官がいるので諦めると自分で決断せずに、警官に渡っていいかどうかを確認するらしいのだ。どう考えたって立場上そうしろなどと言える訳が無いので結果は聞く前から判っているのに、そんな無駄なことをするらしいのだ。
結論:Sapioのコラムに、息子の早弁をを許してくれないかと聞く母親がいるんだと書かれていた。別に怒られるのを覚悟で弁当を食べたって良いのに、そんなことさえ許可を貰おうとし、その上本人が教師に聞くことさえ出来ないと言うのだ。論理を利用すればこんな連中を管理するのはたやすい。自分で判断出来ない連中は羊よりも愚かなのである。
月曜日, 6月 08, 2009
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