電波利権と広告費で守られていた筈の放送事業。スポンサーから手に入れた(半分は電通に献上?)広告費からはねた上前(制作は安い手間賃で丸投げ)で高給を取って威張り腐っていられたのも神話になろうとしている。
電波を手放したくないためだけで渋々飲んだ地デジに経営を圧迫され、誰が怖いのかは知らないが真の景気回復政策の実行を阻止する為に官僚のシナリオ通りに世論を誘導したためにキー局がパチンコのCMに頼らなければいけなくなるほどに景気は悪化。その最後の頼みのパチンコのCMもここに来て半減(射幸心を煽る広告は放送時間を規制されることになった為と言われているが、正直な話パチンコ業界も不景気なのだ)。このままでは日テレ以外も創価大学のCMしか流れなくなるかも知れない。
日本のケータイはガラパゴスだと言えば面白がって報道するカスゴミ。ケータイはガラパゴスであろうが独自の進化を続けてきたが(それも先は短いが)、カスゴミは退化を続けてきただけだと言うことに気付いていない。
電波、通信と統制で守られてきた業界(電話、放送局、新聞)はアナログ時代の感覚でデジタル時代も切り抜けられると考えているようだが、デジタル時代は誰でも情報を発信することが可能な時代である。情報を飯の種にして生きてきた連中にだけに情報発信を独占可能だった時代は既に終った。独占が出来なくなったのだから情報そのもに金銭的な価値など無くなり、社会にとって価値があるかどうかはコンテンツの中身次第になってしまったのだ。ネットがあれば仮想の情報網があっという間に出来上がってしまう時代に実態(大きな入れ物)を持ったカスゴミなど遺物(汚物?)に過ぎないのである。
結論:通信キャリアが土管にならざるを得ないのと同じように、コンテンツ制作能力を失ったカスゴミは単なる電波の場所貸し(所場代を頂くヤクザ稼業)にならざるを得ない。そうなれば広告屋なんてただの寄生虫だと言うことが明らかになるのだ。20世紀はもう終ったのに、それに気がついていない連中が公器だなんて笑わせるのもいい加減にして貰いたいものである。
水曜日, 4月 22, 2009
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