社会性の乏しい裁判官に成り代わって、裁判をしてやろうと言う跳ねっ返りが考えたのかは知らないが、いつの間にやら裁判員制度が施行されることになってしまった。あんなものに参加できるのは時間の有り余っている連中(社会で活動していないと言うことだ)だけだと何故気付かないのだろう。企業の最前線で働いている人間が裁判などに時間を割くことはまずあり得ず、社会に不満を持っている(反社会的な思想を持っている)人間やプロ市民(似非左翼)などの得体のしれない連中に裁判権を与えるきっかけになってしまうだけなのである。
縦んば、思想的に壊れていない一般市民が積極的に裁判に関わると言うことになったとして、公正な裁判が行われるとは到底思えない。プロフェッショナルである裁判官でさえ社会の空気に影響を受けておかしな判決を下すことがある現状で、マスコミが視聴率稼ぎであることないこと報道するようなこんな時代に、公正な裁判(証拠裁判)が行われるとは到底思えないのである。
物証も無しに心証だけで判決が下されるのならば、良くて弾劾、悪くすればただの魔女狩りになってしまうのである。
結論:空気に流される日本人に裁判などやらせてはいけない。うすらバカは何人集まっても文殊にはならないのである。
火曜日, 6月 19, 2007
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