火曜日, 1月 08, 2008

反捕鯨に物申す

 クジラを食わなくても生活出来る現在、捕鯨推進を謳わなくても良いとは思うが、だからと言って反捕鯨論者のエキセントリックな論調は捕鯨推進論者以下であることは間違いない。大体、クジラの個体数が減った最大の原因は、日本人が食いまくったからではない。石油が燃料の主流になる前に鯨油を得るために大量に殺戮したのが原因だ。そして、それを行ったのは他でもない白人だ。日本人全てがギャル曽根のようにクジラ肉を食っていると言うのならば、もしかしたら数が減るかも知れないが、みんなそんなに大食いではないのである。

 更に、言うに事欠いてクジラを殺すのはかわいそうだと言う。そんなことを言ったら豚だって、牛だって、鶏だって同じだ。それらは家畜(所有物)だから何をしても良いと言うのならば未だに奴隷制時代の感覚なのだろう(だから白子じゃない人間がどんなに死んだって気にしないのだ)。クジラは高等生物なのだから別だと言うのなら(わんぱくフリッパーの見過ぎなのだろう)、黒人やアラブ人(勿論日本人)はクジラよりも下等な生き物だと考えているに違いない。

 さて本題に戻ろう。日本人は食料としてクジラが本当に必要だろうか?恐らく現在の貿易が維持されるならばクジラは蛋白源としては珍味の類いだ。なくても困らないので嗜好品の世界だろう。ということは捕鯨を認めたとしてもクジラが絶滅するような需要は絶対にないし、ゲームでは無いので喰いもしないクジラまで殺す事はあり得ない。そこが狩猟民族には理解出来ないから、エキセントリックな事を言い出すのだ。そんな人に向かって反捕鯨は白人の人種差別運動だと抗議した日本人がいるようだが、そんなことをしても意味はないだろう。

結論:差別はいけないが、そもそもオーストラリア人は犯罪者の子孫なのである。それだけの話である。

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